ブックマーク / lessor.hatenablog.com (9)

  • 新学年 - 泣きやむまで 泣くといい

    子どもたちの新学年も1週間経過。 クラス替えというのは、ときに子どもの学校生活における大きなターニングポイントになるのだろうが、養護学校においても例外ではない。4人や5人の生徒に対して教師が3人とか4人いて、小学1年から6年までごちゃ混ぜになっていたりするクラスが、「なんで変わるのか」の十分な理解もできないままに大きく変化してしまうのである。教室の場所が変わるだけで大騒ぎだったりする。 全校生徒200数十人のマンモス養護学校。地元自治体からの新入生は小中高合せて6名。卒業生よりも多かったので、全体として増えた。来年も再来年も増えるんじゃないかという気がする。地域の小中学校に行った結果、使える資源が大きく制約される結果になってしまうケースも目についている。「地域生活支援」なんて言いながら、多くの事業所はあちこちの学校に送迎車を出せるほどの体力は残っていない。悲しいが、うちも同じである。車は1

    新学年 - 泣きやむまで 泣くといい
  • 内示情報など - 泣きやむまで 泣くといい

    体が全く休まらない年度末。長時間ケアの連発と、連夜学生スタッフであふれかえる事務所。落ち着かない。 どうやら行政関係の異動は小さなものにおさまりそう。もしややこしい異動があれば、数日のうちにやってしまわなきゃいけないことがたくさん出てくるところだったので、ひと安心。それでもお礼を言いに行かなければならないところは複数あり。 そして、児童デイ2型の報酬単価増に伴うボロ儲け見込みで、近隣法人の施設長が理事会でウハウハ笑いっぱなしという連絡。とにかく不快だ。なぜ1時間あたりでなく、1回あたりで報酬が定められているのか全く理解できない。1時間利用でも5時間利用でも同じ金額って、どこに合理性があるのだ。厚生労働省としては、いったい1時間平均いくらぐらいの報酬になると想定しているのか。 これは単なるひがみなのだろうか。うちも児童デイをすればいいじゃないか、っていうこと? 就学前の子ども向けの児童デイは

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    hrkt
    hrkt 2009/03/27
    児童デイ
  • [障害者支援]地方の零細の声を届ける - 泣きやむまで 泣くといい

    某社会福祉法人の偉い人が「自立支援法に対して言いたいことがあれば、メモ書きでもいいのでまとめてほしい。都道府県に持っていく」と言ってくれたので、まとめてみた。完全に事業所目線であるので、利用者が読んだら違和感が強いだろうが、地方の超零細の実態を行政に知ってもらうには良い機会だ。以下、地名を隠して、全文ペースト。昨日「金曜までに」と言われて大急ぎで書いたので、文章の読みにくいところや荒っぽいところがあるのは何とぞご容赦ください。 自立支援法の影響について NPO法人 ●● 理事長 ●●●● 障害者自立支援法の施行により、地方(田舎)で知的障害児者の居宅介護を行う事業所を運営していくことは非常に困難になった。支援費制度において、一部では「儲かっている」事業者の存在まで指摘されていたのに、なぜ運営が困難であるのか? それは居宅介護事業所のマネジメント特性と、新しい制度体系が噛み合っていないことに

    [障害者支援]地方の零細の声を届ける - 泣きやむまで 泣くといい
    hrkt
    hrkt 2009/03/12
    lessor on 自立支援法
  • ■ - 泣きやむまで 泣くといい

    先週の金曜日に自分がしたヘマがもとで、子どもと家族の生活に重大な影響。ヘマをした瞬間から嫌な予感はしていたが、最悪のほうに向かった。予感というか、予測ができていた。予測ができたというのは、その子のことがよくわかってきたということでもあるが、その力を今後活かすことができるかどうかさえもわからなくなっている。サービスの利用を続けられるかどうかの危機的状態。人は全く危機とも思っておらず、家でゴキゲンな日々を送っているが、支援者や家族は暗い気持ちでいる。 関係者以外が聞けば、なんでそんなことで、と皆が言うであろう些細なことである。ぬいぐるみの扱いひとつ。それで放課後の毎日の人および家族の生活がすべてひっくり返ってしまうことの恐ろしさを痛感している。しかし、いくら痛感したところで、すでに起きたことはどうしようもない。教訓にはなったが、取り返しのつかない失敗というのが、自閉症の子ども相手の仕事には

    ■ - 泣きやむまで 泣くといい
    hrkt
    hrkt 2009/03/12
    自閉症/アスペルガー症候群 RDI「対人関係発達指導法」―対人関係のパズルを解く発達支援プログラム
  • ケア会議 - 泣きやむまで 泣くといい

    ケア会議を招集してレジュメを作ってきた組織が進行をまかされずにずっと無言でいて、特別支援学校の教員が当たり前のように司会進行していく。その教員との連携がうまくいっていないのか、担任は会議の趣旨がわかっておらずに子どもの生育歴から語りはじめる。事業所サイドは自分も含めてなぜか法人のトップばかり来ているし、保護者はぽかんとしているし、奇妙な会議だった。 会議のメンバーの妥当性はともかく、障害児の「福祉」部分について特別支援学校内で組織を機能分化させようとした結果、完全に障害者福祉の相談支援事業所と仕事が重なってしまっている。どちらかが身を引くべきなのか、相互に機能を分けられるのか。って、たぶん地域の実情によって変わってくるのだろう。こうして、明確な線引きができないまま、特別支援教育と障害児福祉は併走していく。

    ケア会議 - 泣きやむまで 泣くといい
    hrkt
    hrkt 2009/02/13
    「明確な線引きができないまま、特別支援教育と障害児福祉は併走していく」
  • 地域で生きねばならない理由は何処に - 泣きやむまで 泣くといい

    養護学校の先生たちを前に、地域生活で必要な力について話してくれと言われたのは数週間前。 レジュメを作りながら、困ってしまった。養護学校というのはまさにそのような力を身につけるために教員が日々努力している場所だと思っていたから。算国理社に力を入れているとも思えないし、体を動かしたり、手先を使ったりすることを通じて、生活のための力をつけていかせようということなのだろうと思っていた。そこに将来の「就労」を考え含めたとしても、そのための力をつけていく重要性は嫌というほど教員に理解されているはずである。一般就労にせよ福祉的就労にせよ、卒業後の進路選択は最重要課題だ。今さら「働く力をもっとつけないと」なんて、教員に話しても仕方がない。 「働く」以外に、「地域で生きていく」というために必要な力は何か。少し前に「地域」論をここでも書いたけれど、そもそもあるべき地域生活とはどんなものか、を確定させないことに

    地域で生きねばならない理由は何処に - 泣きやむまで 泣くといい
    hrkt
    hrkt 2009/01/25
    地域とは?を考える上で必読
  • 泣きやむまで 泣くといい

    今回はツイートの列挙でご容赦ください……。 ほぼ更新停止しているブログに掲載を続けてきた、選挙前の「公約比較(障害者分野)」。今回はまとめる余裕がなさそうです。ただ、ひととおりの確認作業はしました。結論から言うと、どの党も「昨年度の衆院選時の公約とほぼ変わりなし」です。 — lessor (@lessor_tw) 2022年7月8日 そんなわけで、前回のまとめ記事を読んでもらうことでも事足りてしまいそうですが、ほんの少しだけツイートで付け加えます。https://t.co/Tde0buKfaI — lessor (@lessor_tw) 2022年7月8日 自民党は政策集の概要版で農福連携について「農業者が障害者を受け入れる際に必要となる安全設備等の整備」が足されていました。あとはバリアフリー・ユニバーサルデザイン・ICT活用などが目立っています。 — lessor (@lessor_tw

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  • [読書]なんで学校終わった後も誰かに「指導」されなきゃならないんだか - 泣きやむまで 泣くといい

    『児童心理 臨時増刊 アフタースクール 放課後の子どもたちの居場所のいま』2009年2月号、金子書房。 アマゾンで検索かけても見つからないが、たまたま書店で見つけて購入。 あんまり同意できない論考も多いけれど、子どもたちの「放課後」のことについて総論的であるという点で貴重なかもしれない。塾や習い事、子ども会などの関係者まで幅広い立場の人が書いているし、海外の事情も少し載っている。えらい先生も現場の人も書いている。障害児のことも少し書かれている。 放課後の生活の選択肢がもっと広がるべきだということを、あくまで子ども自身の「生きやすさ」から言ったらよいのではないかと思うのだけれど、指導計画がどうのとか、資格がどうのとか、学校の補完がどうのとか、なんで余計なものをたくさん付加しなきゃいけないのだろう。これもまた、そう言わなければ金がついてこないからであろうか。 こんな分野でも、スウェーデンはや

    [読書]なんで学校終わった後も誰かに「指導」されなきゃならないんだか - 泣きやむまで 泣くといい
  • 比較されないよりマシ、なのか? - 泣きやむまで 泣くといい

    学校見学時の校長の対応(AFCPさん) http://homepage3.nifty.com/afcp/B408387254/C174902512/E20081004174536/index.html のコメント欄にて 健常児の親からすると 特別支援は 各校じゃなくて、市に 数校ではいけないのだろうかと思う。教員不足や 学力低下問題もあるし、先生を健常児たちにも 増やしてほしい。健常児の親側からすれば あんな少人数で特別に支援を受けているのに まだ 何を望むのだろうと思う。みんな我慢しながら 生きているのに。 先日、ここに書かれているのと同じような話をされたと特別支援学級生の保護者から聞いた。 こういうのって昔からあったのだろうか。新しい時代に入ったということなのだろうか。学童保育所で障害をもつ子どもに対して行ってきた支援に「特別扱い」として文句言われることは多々あったけれど(それは5年に

    比較されないよりマシ、なのか? - 泣きやむまで 泣くといい
    hrkt
    hrkt 2008/10/07
    "これから先にあるのは、特別支援教育の中で培われた手法の還元が、「健常児」の教育にもフィードバックできるという実績の積み上げでしょうか"
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