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ブックマーク / buu.blog.jp (6)

  • 多分世界で最初のとんかつ評論家 元木一朗のブログ:情報病

    印税生活ですっかり勝ち組になってしまった三浦展さんの。彼とは三菱総研に入ったのも辞めたのも同じ時期なんだけれど、会ったことも話したこともない。いや、小さい会社だから会ったことぐらいはあるんだろうけれど。社会公共部だったのかな?僕は科学技術部と経済経営部だった。 さて、内容について。日特有の世代論をベースに、新人類、ロスジェネ、そして今の若者の代表を登場させ、対談形式にして主として今の若者の特徴をあぶり出していく、というもの。これが「代表性」という面で非常に雑にみえて、その実かなり計算し尽くされているのが面白い。若者代表として早稲田の草男君と立教の鉄子さんが登場するのだけれど、彼らは完全なる代表ではない。ただ、きちんと周囲を見る『目』を持っていて、そういう視点を持てる人間を見つけてきたところが書の成功の要因だと思う。が、草男君に比較すると鉄子ちゃんはちょっと力不足で、その結果、焦

  • 多分世界で最初のとんかつ評論家 元木一朗のブログ:ブログでバイオ 第65回「博士の就職難に関する今の個人的かつ現実論的考え」

    まず最初に書いておくけれど、仕事がらみで精神的に参っている人は以下の文章を読んではだめです。 「キチガイ」という言葉は放送禁止になっているけれど、まことしやかにささやかれているその理由は、 1980年代に回復治療期に、テレビ・ラジオでこの語を聞いた精神障害者がショックを受けることにより、治癒を妨げる恐れが指摘されたことから、指摘を受けた関西の準キー局である毎日放送が使用の自粛を呼びかけた。 (出典:ウィキペディア「きちがい」) といったもの。テレビや新聞などのご立派なメディアが自己規制するのは勝手なのだけれど、その基準に合わせる気は全然なくて、僕はこのブログでも普通に「キチガイ」という言葉を使っている。回復治療期にある精神障害者の方々がどの程度の数いるのか僕は知らないけれど、そういう人はこのブログは読まない方が良い。同じように、仕事に関して悩みを抱えていて参っている人にとっては僕の文章は毒

    htktyo
    htktyo 2009/09/30
  • 多分世界で最初のとんかつ評論家 元木一朗のブログ:面白い記事

    htktyo
    htktyo 2008/10/20
    あとで
  • 多分世界で最初のとんかつ評論家 元木一朗のブログ:ブログでバイオ37回「大学と、大学の先生は、本当にちゃんとした教育をしているのか?」

    先日、「社会の変質に対応できない日の学生達」という記事を書いたときに少し触れたのだが、「5号館のつぶやき」さんが「もちろん借りたものは返さなければならないのですが」というエントリーで書いていた 日政府さま、「奨学金」を返してもらうために、「奨学生」だった人にまずワーキングプアにならなくてすむような職を与えてください。 というコメントはどうにも違和感がありまくりだった。その違和感がどこに起因するのか整理がつかないうちにブログで取り上げてみたわけだが、それに対して5号館のつぶやきさんは まあ、今の学生や大学院生がみんなブウさんのように、賢く強いのであれば何も問題は起こらないなのだとは思いますが、どうしてそうなっていないのかということに関して、彼らを育てている「日株式会社」の方針が間違っているのではないかというのが、「真逆なスタンス」から見えることなのではあります。 とコメントしてくれた。

  • 多分世界で最初のとんかつ評論家 元木一朗のブログ:生命省どうでしょう

    正直アホ学生の会社ゴッコに付き合わされたり、その後始末をやらされたりと、「まったく日のバイオ関係者っていうのは当に馬鹿ばっかりでやりきれん」という状態だったので、バイオねたはご無沙汰だったのだけれど(バイオジャパンもすっ飛ばしてゲームショウに行っちゃったしね(笑))、そうやってこちらがそっぽを向いているとなぜか仕事の方がどんどんまわってきて大変な状態。塞翁が馬というのとはちょっと違うかもしれないし、嫌よ嫌よも好きのうちというのはもっと違う気がするのだけれど、まぁ、良いや。世の中の動きというものはこういうものなのかもしれない。 で、久しぶりのバイオねたなんですが、和田さんが理研のシンポジウムで中村桂子さんの批判に応えるような講演をしたとのことなので、ざっくりその記事を読んでみた。 【2007年9月27日 生命研究プロジェクトに求められているのは? 】 さて、この要旨を読んで、どこに中村さ

    htktyo
    htktyo 2007/09/27
    あとで
  • 多分世界で最初のとんかつ評論家 元木一朗のブログ:分子生物学の閉塞感

    ある有力科学者と飲み会。彼の考えは、「ノーベル賞を自分で取るより、自分が教えた人間がノーベル賞を取ってくれた方が嬉しい」というもの。これはなかなかに驚きな話だった。 さて、それはそれとして、僕が携わっている分子生物学の世界というのは、非常に仲の悪い世界である。これは世界的な視野で見てもそうだし、日に限ってもそうである。では、何故、みんなの仲が悪いのか。これについて、僕の説を書きつつ(前にも書いたかもしれないけど(^^;)、分子生物学の現在からどんな印象を受けているかを書いてみよう。 分子生物学というのは、広い土地で行う穴掘りのような作業である(左上図参照)。穴を掘りはじめる場所は、ほとんど無限のように沢山ある。例えばある人がヒトを対象としてある研究をしていたとき、別の人間はブタを対象として同じ内容の研究することによって、先人とは別の切り口で研究することができるのである。糖尿病一つ取ってみ

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