親子丼てどう考えても他人だよなと5億回くらい言われただろうことを書きながらそういや俺も親と血縁無かったけど確かに親子だったなと思ってやっぱり親子丼は親子だなとか思った土曜の23時半
こんにちは。画像100個以上あるので長いです 親子丼をよりよいものにしたいという欲求が人類にはあると思うのですが、案外うまくいかないよねという話をこないだのイブニングに描きました。そんであれには前段があって、ある夏の日に「冷やし親子丼が可能ではないか?」と考えたことです。 鶏ささみをだし汁かなんかと一緒に封して低温調理にかけようとしています はい 低温かけたのを適当にカットします アボカド うらごしてワカモレ的なものにします。もう忘れたけど味ぽんとかそういうのを練り込んでいると思う。自分の調味のことはなんとなくわかる。 これはいわゆる低温調理をした際に肉から出る低温汁といわれるものです これを溶き卵に混ぜるなどしてスクランブルエッグを作ろうとしています ちょっとわかりの足りない仕上がりですね。 はい これで完成 これをいままで発表しなかった理由は簡単で、うまくないからです 翌日冷蔵庫でガチ
先日書いたヨッピーに関する2つの記事を消した。本人には届いたようだし、ヨッピーの悪評を広めるのが目的じゃないからだ。「ヨッピーのアンチがここぞとばかりにはしゃいでいる」なんてリアクションもあって、そう思われるのは本意じゃない。 それにあの記事に対する反応を見ていて、あまりの伝わらさに呆れてしまったのだ。 「好きだったアーティストがメジャーデビューした悲しさ」だって? ぜんぜん違う。ヨッピーがただ単につまらない本を書いたのだったらそういう気持ちだろう。だけど、僕はヨッピーが煽り屋を批判しつつ、自分も煽り屋をやろうというその態度を問題視しているのだ。最初の記事は長すぎたから誤読の余地があったかもしれないが、2つ目の記事でも同様の反応があったのには驚いた。そういう構図に落とし込んで納得したいんだろうね。今のネットでよくある光景だ。「自分がやってみろ、嫉妬だろ」なんてのもそうだ。仮に嫉妬で書かれた
日本人が抱える労働生産性の低さを支えている要素の一つに、拘束時間に対してお金を払おうとするという悪しき風習がある。 生み出した富、付与価値に対して給料は払うべきなのである。 21世紀にもなって人月の神話にすがりついたまま滅びへの道を突き進むおろかしい「自称マジメ民族」こそが日本人なのだ。 残業法案によってそれを解消しようという政府の取り組みがあるがあれは100%上手くいかない。 マジメに働いている多くの人達に無駄な仕事を増やしつつ奴らの天下り先を増やすだけで終わるだろう。 そもそも何故拘束時間に対してお金を払う必要があるのか、そこをまず議論すべきだ。 やいのやいのと無駄に会議を長引かせて踊り明かすことは可能だろうが、最終的な結論はただ一つだ。 「もしも無給で拘束され続ければ資本主義社会で食っていけなくなるから」である。 逆を言えば、万一無給で拘束され続けても食っていけるようになれば拘束時間
なろう系の作品にしばしば見られる特徴として「展開のスパンが長すぎる」というものがあり、もともとアニメ化に向かないのではないかと危惧されていたけど、「展開があっさりしすぎる」「どこに向かっているのか分からない」と言われるのは、やはりそれが悪い方向に出ているのかと思う。 たとえば、なろう系の要素とされる「俺TUEEE」について、過剰なまでに展開を盛り上げて主人公の強さを強調するような想像をする人も多いと思うが、実際に見てみると分かるように、特に起伏なく淡々とイベントをこなしていくような作品のほうが多いんだよね。 Web小説は執筆するにあたって文字数や巻数という制限が薄く、読む側も数十話数百話を一気読みするのが前提なので、一話一話は薄味でさっくり作り、それをひたすら積み重ねて大きな物語を作る、という作劇になりがちだ。 漫画を雑誌で細切れに読むか単行本で一気読みするかという感覚に近い
かわんご is a user on friends.nico. You can follow them or interact with them if you have an account anywhere in the fediverse. If you don't, you can sign up here. ネットでまともな人間がだんだんと発言しなくなっているんだけど、大きな理由はネットでなにか発言するとして、それが影響力を持つときには、発言内容の正しさに関係なく反論が来ること。 いくら発言内容が正しかったりレベルが高くても、反論のレベルは常に低いものがくる。 しかも、レベル低い反論にも広いネットの中には必ず仲間がいるから、彼らは間違っていることにも気づかない。 自由でフラットな言論の場なんてものは、ろくな結果にならないというのが残念ながらインターネットの現状。
「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトでぶつかった「ある疑問」国立情報学研究所(NII)の社会共有知研究センター。 「ロボットは東大に入れるか(東ロボ)」プロジェクトで知られる人工知能(AI)の研究チームが、子どもたちの読解力テストに着手した。 なぜ、AI研究者が「読解力」に関心をもつのか。 そこには、AIの限界を探る研究の過程でぶつかった、ある疑問が関係している。 センター長の数学者・新井紀子さんに話を聞いた。 今日(11月14日)の「東ロボ 2016成果報告会」で冒頭あいさつする新井紀子教授。東ロボプロジェクトは2011年にスタートしたAIは国語が苦手――なぜ、AI研究者が「読解力」に関心を? 東ロボは、問題を解き、正解も出すが、読んで理解しているわけではない。 現段階のAIにとって、文章の意味を理解することは、不可能に近い。 そうすると、特に難しいのが国語と英語だ。 国語では、20
小さな頃丘を登ったことがある。丘と言っても公園にある3mほどの段差のような存在だ。 手で草を掴み、脚で懸命に地面を捉え、よじ登る。 世界が変わった。 せいぜい130cm程しかない身長では知り得なかった光景が視界に広がっていったのだ。 それからというもの冷静な大人では進まないような草木生い茂る道だろうと、高い場所なら登り続けた。 知らない世界を見るたびに心躍り、世界を好きになっていった。 大きくなり山を登り始めた。 見たことのない花や透き通った渓流は美しい。険しい道すら日常からの乖離を感じさせ楽しくあった。 何より山頂にたどり着いた時の光景、あれだけは何にも代えがたい。人生の拠り所とすら言える存在だ。 事故にあった。 なんてことはない自損事故だ。 原付なのにスピードを出していて、飛び出してきた猫に気を取られて、ハンドル操作を誤って、地面を滑るように転げていった。ただそれだけ。 ただそれだけな
育ちがいいわけじゃないし、親が成金なだけだけど、実家は近所の中では金持ちの部類だった。 長女だから構ってもらったし、モノには苦労しなかった。自分は、よく言えばのほほんとした人、悪く言えば世間知らずのボーッとした人間だ。 通ってた公立の小中学校の学区に大きい市営の団地があって、同級生の半分はそこの子だった。片親率は高いし、同級生の父親の職業は聴いちゃいけないって暗黙のルールもあった。いい奴もいるけど、少しヤンチャすぎるのもいた。そこでは金持ちは悪であった。でかい家に住んでるだけで恥ずかしかった。あまり目立ちたくなかったけど、いじめられた。 そんな学区に一軒家たてる親も親だし(親も出身は県外なので仕方はないが)、大学の附属とか私立にワザと通わせないのは世間知らずだ。というかガチで虐待の部類。 高校は、その土地の富裕層が多いとこに建てられた学校だった。公立だけど、地方なので富裕層の子供とかが多か
要約:おそらくアニメの構成が悪い 11話がヤバいと話題になっている。 https://togetter.com/li/1153609 ひどいハーレムだとかテンプレだとか言われていて、自分もその通りだと思うが、本当にヤバい点はそこではない。そのヤバさを理解するには、11話に至る過程を理解していなければならない。自分はこのアニメをたまたま1話から見ていたので解説したい。 このアニメがハーレムものになるまでこのアニメの序盤は、異世界に転生した主人公が神から得た力で何の苦労もなくとんとん拍子に問題を解決していく話で、どこかで見たような要素だらけだった。 それが一番極端だったのは4話で、次の内容をAパートだけでやっていた。 3話の最後で主人公は、国王が毒にかかったと聞き、治しに向かう4話の序盤で国王の毒を主人公が魔法であっさり治す毒が盛られた現場の部屋を主人公が調べる容疑者全員を主人公がその場に呼び
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