タグ

2018年7月17日のブックマーク (5件)

  • 何もしてないのに壊れた

    そう言って度々私にパソコンを見せに来ていた可愛い女の子がいました 彼女はとても可愛かったので私はなんとしてでも結婚しようと思い 当時は嫌な顔ひとつせず丁寧に丁寧にたまに突き放して対応していました 努力のかいあって私はその可愛い女の子と結婚することができました しかしそこからが大変でした 何もしてないのに壊れたという行動は結婚してからも全く変わることがなかったのです 私は段々そのことに嫌気が差すようになり当初は楽しかった中出しの回数も減っていきました 人に聞くだけ聞いておいて自分では一切何もしようとしないのが嫌になったのです 言ってもその場ではうなずくだけで実行に移そうとはしませんでした しかし去年の暮れ頃から可愛い女の子のお嫁さんに変化が訪れたのでした PUBGとフォートナイトとキズナアイ(ミライアカリ)にどんどんハマっていったのです 没頭するあまりなのか私に質問を投げてよこす頻度がだんだ

    何もしてないのに壊れた
    hungchang
    hungchang 2018/07/17
    滂沱(ボウダ)とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%BB%82%E6%B2%B1-628141「涙がとめどもなく流れ出るさま」
  • 語尾に「~かしら」と付ける男性について

    いまどきの女子のことばに「よ」「わ」「ね」という語尾はない、というハナシが話題に上って思い出した。 「~かしら」という言葉を知り合い(男性)が使っているのを見て、カマっぽいと思ってしまった。 女性語だと思っていたけれど、偶に男性で語尾に「かしら」を付ける人見かける。 これが方言なのか、育った家庭環境なのか知らないけれど。

    語尾に「~かしら」と付ける男性について
    hungchang
    hungchang 2018/07/17
    漱石からF不二雄でも幅広く使われている印象。
  • まったく誰も得をしない2018年上半期の増田アワード25選「不安になる編」 - あのにますトライバル

    列島各地熱湯列島と化していますが、ここいらで今年上半期の「不安になる」増田でも振り返って何とも言えない気持ちになりませんか? 「不安になる」とは 匿名掲示板だろうが何だろうが大体文章を書くときは何か言いたいことがあるので書くものです。それなのに文章の要旨が掴めないということがあります。特定を避けるために肝心の部分をぼかしていたり、投稿者の文章を組み立てる力が最悪だったり、単に何も考えていないだけなど様々な理由が考えられます。そういうのがすごーく気になったので、「これは」と思うものに「不安になる」タグをつけていっただけです。読んだ後「あれはどうなるんだろう」とか「意味がわからない……」など自分の軸がぐらぐら動くような気分になる増田です。ちなみに「不安になるタグ」は増田以外にも使ってます。(まったく輝かない2017年の増田アワード「不安になる編」より) 選出のポイント ・2017年12月22日

    まったく誰も得をしない2018年上半期の増田アワード25選「不安になる編」 - あのにますトライバル
  • SNS参考にする層ほど内閣支持率高め 朝日世論調査:朝日新聞デジタル

    朝日新聞社が14、15両日に実施した世論調査で、政治や社会の出来事を知る際、どんなメディアを一番参考にするかを尋ねた。すると、「ツイッターやフェイスブックなどのSNS」「インターネットのニュースサイト」と答えた層は、内閣支持率が高い傾向が見られた。「テレビ」と答えた層の支持率は全体の支持率とほぼ同じで、「新聞」と答えた層は支持率が低かった。 政治や社会の出来事について情報を得るとき、一番参考にするメディアを四つの中から選んでもらったところ、「テレビ」が44%で最も高く、次いで「インターネットのニュースサイト」26%、「新聞」24%、「ツイッターやフェイスブックなどのSNS」4%だった。 年代別に見ると、18~29歳は「ネット」38%、「テレビ」35%、「SNS」16%、「新聞」8%の順。30代は「ネット」53%、「テレビ」28%、「新聞」12%、「SNS」7%の順だった。40代以上はいずれ

    SNS参考にする層ほど内閣支持率高め 朝日世論調査:朝日新聞デジタル
    hungchang
    hungchang 2018/07/17
    「「ツイッターやフェイスブックなどのSNS」「インターネットのニュースサイト」と答えた層は、内閣支持率が高い傾向」「「テレビ」と答えた層の支持率は全体の支持率とほぼ同じで、「新聞」(中略)低かった」
  • 「罪のない創作話」と「唾棄すべき嘘松」の違いについて - 頭の上にミカンをのせる

    大した話でもないので結論だけ先に書いておきます。あくまで個人の感想です。 嘘かどうかも問題では有るけれど、「嘘松」批判において一番重要なのはそこじゃないだと私は思ってます。 通常の会話において事実が重要なのは言うまでもない。けれど、「嘘松」=「腹話術によって藁人形をこさえる行為」というのは、事実かどうかを判断する必要すら無くその形式自体がアウトと認識すべきかと思います。つまり、事実かどうかを判断する前に門前払いすべきです。発言者が「これは事実だ」と言い張っても、また仮にそれが事実だとしても嘘松は嘘松です。 少なくとも私にとっては。 嘘松だとかそうじゃないという話をしている時、批判している側にとってはそれが真実かどうかはどうでもいいです。だって、人の自供以外、検証の仕様がないじゃないですか。で、人は嘘ついてたとしたら認めるわけないじゃないですか。 じゃあ、大事なのは受け取り手の心証ですよ

    「罪のない創作話」と「唾棄すべき嘘松」の違いについて - 頭の上にミカンをのせる
    hungchang
    hungchang 2018/07/17
    自分の意見をマックの女子高生に言わせるのは卑怯という話。真偽不明であるはずのものを「嘘松」と呼ぶのも分が悪いけど、必ずしも当てはまるわけでもない理論で「嘘松」と呼ばれるものを批判するのも上手くないかな