新聞とか終わりだ終わりバカモノ!!!!!みたいな話があって、なるほどなぁとか思わないでもないんですけど、新聞がなくなった後で、文化のある分野を誰が支えていくんだろという感じの素朴な疑問もあったりします。 新聞は今でこそニュースが書いてある紙みたいになっちゃっていますが、かっては印刷やら販売網などといった最新技術の結晶でした。なんでインターネットに乗り遅れたのか、意味が分からない感じがしますが、それはまた少々違うお話なので置いておきましょう。 とにかく新聞は最新鋭の技術を取り入れると同時に、優秀かつ新しもの好きな人材を集め、どんどん成長していき、その余力で様々な文化を地方に普及させたりしています。わかりやすいものだと、こういうのがあります。 読むのが面倒な人向けに要約すると、今でいう通販販売です。 なんでこんなことを始めたのか、理由は様々ですが、もともと広告として掲載した商品を、新聞社で販売
以前に「アイドルを題材にしたアニメ作品を年表と共に振り返ってみた」の記事を投稿しましたが、ゲームについても調べまして年表を作成してみました。 ■アイドルを題材にしたゲーム作品年表発表年月 ハード タイトル(メーカー) 1987年 2月 AC ワンダーモモ(ナムコ) 1987年12月 FC 中山美穂のトキメキハイスクール(任天堂) 1988年 6月 FC リサの妖精伝説(コナミ) 1988年12月 PCE No・Ri・Ko(ハドソン) PC-9801 プロダクション・マネージャー(コムパック) 1989年 3月 FC 光GENJI ローラーパニック(ポニーキャニオン) 1989年 6月 FC ラサール石井のチャイルズクエスト(ナムコ) 1989年 9月 FC アイドル八犬伝
検索チームでは、検索結果への反映を早めるため、本年中を目途に新検索エンジンへ置き換える予定でおります。
こんばんは、いい大人達のタイチョーです。 色々とお騒がせしております。 前回のブロマガでPhotoshopの利用についてコメントを頂いた点について、 これまでの経緯と、今後の対応をご説明させて頂きます。 前回のブロマガのコメントでご説明させていただきましたが、 これらの内容を補完する形で、詳細を記載したいと思います。 以下はその時の引用となります。 こんばんは、タイチョーです。 先ほど東京から帰りまして、コメント欄での指摘を確認したところです。 色々とお騒がせしてしまいまして、本当に申し訳ありません。 指摘を頂いたフォトショップについてですが、これは14年ほど前(高校の頃)に 友人からCD-R媒体で譲ってもらったもので、その時点で冷静に考えてみれば 不正な手段で入手したものであると考えるべきだったのですが、 今回の状況になるまで事の重大さに気づけなかったこと、 お詫びしようにもお詫びしきれ
肉じゃがは海軍由来の料理であるという噂があります。 肉じゃがの発祥は大日本帝国海軍である。日露戦争でバルチック艦隊を撃沈した当時の国民的英雄・東郷平八郎が、イギリス留学中に食べたビーフシチューの味を気に入っていて、それが忘れられなくて日本へ帰国した後に艦上食として作らせようとした時、ビーフシチューに普通使われる赤ワイン・ドミグラスソース・バターなどの材料が入手困難であったため、醤油と砂糖を使って作ったのが肉じゃがの始まりであるとされる。 http://dic.nicovideo.jp/a/肉じゃが実に面白いエピソードで、本当であって欲しいところなんですけど、実際のところは少々怪しい話です。 確かに明治の後半あたりだと、肉じゃがはメジャーな料理ではありません。 『家庭和洋料理法』 (明治三八)には、ジャガイモ料理として、甘煮や三杯酢などが紹介されています。しかし肉じゃがは掲載されていない。
iPadと比べるとまあ確かに大きくはなったね しかし、それにしてもでかすぎると思うワケよ。実際 んー、いまいち巨大さがピンと来ないなー じゃあこれでどうよ? な、なぬぅ!!!!手のひらよりデカいぞ! コトの重大さが解ったか・・・ ■キャンセルすべきかどうするか こ、こんなにデカいならiPad miniでいいのでは・・・ なんか、発表されてたサイズだけみてもこの巨大感は伝わってこなかったよね 「大きいことはいいことだ」ってわけでもないしなあ。来週届いちゃうんだけど・・・ 俺は今回、PlusではなくてiPhone6を予約して本当に良かったと思ってる やれやれ。君たち、まだクパチーノの亡霊に騙され続けてるのですか きょ、教授・・・・ そもそも何故6が必要なんですか?iPhone5Sの二年縛りは? そ、それはやはりガジェッターとして常に最新機種は持っておきたいというか・・・ なんとなくiPhone
更新強化月間が終わって日記のストックが全部無くなったので更新ペースが下がりますが 半生記自体は多分あと4~6回くらいで終わるので、別で語りたいことを間にはさみつつも 今年中、遅くとも今年度中には完結させたいなと思ってます。 第8回 →「エロゲー会社に着彩として就職」 第7回 →「地元を脱出して首都圏に上京」 第1回 →「殴る蹴るの暴行をほぼ毎日受けていた」 そろそろ過去分全て載せるのは無理が出てきたので最初と最近のリンクだけ。 半生記まとめ ----------------------------------------------------------------------------------------------- ■エロゲ会社体験記 さてひょんな事からエロゲ会社の社員になった自分ではありますが、社員といっても 何か契約書類を交わしたわけでもなく、社会保障?年金?健康診断?ナ
チェストについて日本にはチェストという気合が存在します。 集英社(コミック版)キン肉マン8 ゆでたまご ジェロは全ての設定が曖昧ですからどうでもいいとして、チェストが積極的に使われる物語として有名なのは、イナズマンや空手バカ一代、最近の漫画だと日露戦争物語などでしょう。 このチェスト、一般的には鹿児島の示現流の掛け声だとされています。(諸説あり、陰之流のチェーが起原とも) 鹿児島では今でもスポーツ観戦の際に、『チェスト行けー』といった掛け声が用いられるそうです。 それではチェストが全国的に普及したのは、どの辺りの時代なのかというのが本日のお話です。 大正時代の事例チェスト、明治大正の物語で何度か見た気がするのですが、探してみるとなかなか出てこない。 私が確認できた範囲で最も古いチェストが登場する作品は『旅順攻囲決死隊 凝香園 (大正二年)』です。 この作品の主人公茨城憲一郎は石川県玉津村の
俺は多分だけど普通の人よりは電子本を読んでいる。Palm で聖書やら青空文庫を読んだりしたのが始まりで、それから今までずっと電子本を読んでる。 その上で思うのは、電子書籍を趣味として見ると、かなりレベルが低いということだ。 レベルが低いというより、懐の深くない趣味というほうが適切かもしれないけど、とにかく懐が深くレベルの高い趣味は、行為が単体で存在するのではなくて、行為の周辺も娯楽になり得る。電子書籍はそういうのがほとんどない。 『電子書籍 読書環境』(環境だと環境関係の書籍が出てくるため)『ゲーム 環境』で画像検索すると一目瞭然で、電子書籍は、ぼんやりしたイメージ、あるいはタブレットを使ってる金髪とゴミ捨て場しか出てこない。 一方のゲームは、大量のモニタ、スピーカーなど具体例が普通に出てくる。 最高のゲーム環境を整えようとすると、いくら金を注ぎ込んでも終りがない。ところが電子書籍の場合は
最終回、「何故、大企業へと成長したドワンゴを辞めたのか」 2014/9/1 から "株式会社アークライト" で働き始めました。 入社初日の仕事はまたしても "秋葉原で自分の PC を買ってくること" 15年前と変わったのは、今回は自作 PC ではなく SurfacePro3 を購入した点。 自作 PC のメリットは以前ほどは無くなってしまった。 さて、アークライトはどんな会社か簡単に説明すると。 主にアナログゲーム(非電源系と呼ばれたりする)のカードゲームやボードゲームを取り扱い 雑誌の出版、ショップ経営、ゲーム販売、企画、イベント運営をしている会社だ。 ここが自分の新しい職場となる。 --------------------------------------------------- 【自己アピール】 入社初日に職場で一風変わったことをやったところ、 予想以上に面白い結果が得られ、他の
80年代末に発売された『クインティ』というファミコンソフトをご存知だろうか? このゲームの開発には、一つの伝説がある。それは、当時日本中のゲーマーの間で話題だった、超マニアックなゲーム攻略情報のミニコミ誌を作っていたアマチュア連中が、あまりにゲーム熱が嵩じたあげくに自ら勝手にファミコンソフトを、それもパーツから「自作」してしまったというのである。 ゲーム業界が驚異的な勢いで伸びはじめたこの時代、ゲームの周りには続々と才能も熱意もあふれる若者が集結してきていた。しかしさすがに、そんな話はこの『クインティ』以外には後にも先にもなかった。このゲームを売り込まれたナムコの担当者も、版権を獲得する際に、あわよくばこれに続く若者がいれば……と思ったというが、当然ながらそんな連中が現れることは二度となかったのだ。 その後、この『クインティ』の制作者たちは会社を立ち上げて、本格的にゲーム制作に乗り出してい
■偉大なる先輩 shi3z さんと tarbo さんの存在 ドワンゴには突き抜けた人間が多かった。 その中でもズバ抜けて印象深い2人について書く。 ● shi3z さん ドワンゴには "清水亮 shi3z" さんというスーパーレア(SR)キャラが居た。 今ではクラスチェンジしてウルトラレア(UR)にグレードアップしているかもしれない。 当時の名刺の肩書は "アーキテクト 清水亮" だった。僕には今でも意味が分からない。 僕から見た清水さんは、行動力の塊のような存在で 火が点いたらまっすぐ目標に向かって飛んで行き、周囲の注目を集める派手な音を出す。 とにかくロケット花火のような人だった。 ・釣りゲームを作るとなったら、まず釣具セットを用意して弟子のひるけんと一緒に隅田川に釣りにいく ・囲碁のゲームを作ろうと思ったら近所の碁会所へ出かけて行き体験して常連客に話を聞く ・男女のコミュニケーション
第六回 ドワンゴ社員はとにかくゲームが大好き 自分がドワンゴに入るよりも前、 社内で "Die By The Sword" というゲームが大流行し、 3日3晩、みんなが会社でやり続けたらしい。 流石に森さんも「このまま続けたら会社が滅ぶ」と危機感を覚え、 会社でそのタイトルのプレイを禁止するに至った ※ noguso「なんか他にも3日3晩遊ぶぐらいのゲームはあった気がする」KAF「EverquestとかAoEあたりじゃね」noguso「たぶんAoEだよな 川上さんがやりすぎって話」 ※shi3z 三日三晩狂ったように遊んだのはCommandos、KAFがとにかく意味なくトリガーハッピーで毎回ナチスに見つかって全員死亡してた そんな森さんは、 ファイナルファンタジーXI のとき、 ラテーヌ平原で敵の登ってこれない丘を発見し、 その安全地帯から魔法で敵を狩りまくっていたら GM に見つかり牢屋
ドラゴンクエストシリーズ、かまいたちの夜、トルネコの大冒険、風来のシレン……そんな誰もが知っている名作ゲームの数々の開発に関わってきたのが、現在は株式会社スパイク・チュンソフトの代表取締役会長を務める中村光一さんだ。 自作ゲームでも大人気ジャンルであるRPGやノベルゲーム、ホラーゲームなどの日本における走りとなる作品の開発に関わってきた彼が、かつては"自作ゲーム"のクリエイターだった――と言ったら、読者の皆さんは驚くだろうか。 まだ高校生の中村さんがコンテストで受賞してゲーム業界に飛び込んだ80年代、ゲームはまだ生まれたばかりの新しいメディアだった。作り手も若い人たちが多く、少人数で1ヶ月程度で作られるのが普通だったという。実際、このインタビューでも中村さんが語っているように、ドラクエ1ですらも10人に満たないスタッフで3ヶ月で作成されており、メインプログラマを務めた中村さんの年齢は、当時
■バーチャロンのデバッグ ドワンゴは SEGA のドリームキャストソフト、バーチャロンオラトリオタングラムの通信部分を担っていた。 ドリームキャストの通信機能を使って全国のプレーヤーが自宅に居ながらバーチャロンの対戦ができる画期的システムだった。 対戦相手を見つけるゲームロビーがあり、部屋を作って対戦相手を待つ。対戦相手が見つかったらゲームが起動され KDDI の専用回線を通して通信対戦が行われた。 当時のインターネット回戦では通信ラグが大きかったため、電話回線を使って専用回線にダイヤルアップしていたのである。 自分は当時、入ったばっかりだったので主にデバッグ作業の手伝いをしていた。 学生時代にゲームデバッグのアルバイトをしていた経験が活き、際どいタイミングでしか発生しないバグの再現や、普通こんな行動しないだろってパターンをしらみつぶしに調べあげた。 バグを見つけたらバグ報告シート(紙)に
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