本レポートの内容 1.地政学リスクの俯瞰 2.米国の政治動向 3.中国の政治動向 4.米中対立の論点 5.台湾有事の可能性 6.アセアンの政治リスク 7.中東情勢とエネルギー問題 8.ロシアのウクライナ戦争とその影響 9.まとめ 続きは全文紹介をご覧ください。
コーディネータ:羽田 正 ナビゲータ:後藤 春美 皆さんの多くは、高等学校で「世界史」を学習したはずです。大学入試の科目として「世界史」を選択した人も多いでしょう。ですから、ちょうど数学の定理や物理の法則のように、高校生が世界中で同じ世界史を学んでいるのだと信じているのではないでしょうか。しかし、実はそうではありません。 世界史という名前の科目は、日本や中国など東アジア諸国に特徴的にみられ、欧米や中東などでは単に「歴史」と呼ばれる科目しかありません。また、大筋は同じだとしても、国によって、教科書の内容は微妙に異なっています。世界史は、決して一つではないのです。なぜでしょう。 世界史の理解は、自分たちの生きる世界をどう認識するかということ、すなわち世界観と深くかかわっているからです。現代世界でも、人々の世界観は同じではありません。まして、過去においては、地域や時代によって様々な世界観があり、
久し振りにこの話ですね。 今愛の投稿の契機は以下のTweet。 「ナチスは良い事もした」論、普通に言われてるモノは大体論破されてて支持しづらいけど、トニー・ジャットの 「東欧からユダヤ人とドイツ人が消え、それまでは実現不可能だった安定した国民国家の基盤ができた」 説は、色々真っ黒な前提を呑まなければ主張できない覚悟した腹黒さがあって好き。 — ちびくろ参謀 (@CSambo) 2022年5月28日 ナチの経済政策の数々は「開戦前に経済が破綻して良いなら」という前提をつけねばならんし、ロケットはペーネミュンデ内の外国人労働者の処刑もアリなんですか?となるし、禁煙運動も動物愛護法もロクでもないし。 今のドイツを見てたら、あの時代この人たちに他の選択ができた訳がないとも思うけど。 — ちびくろ参謀 (@CSambo) 2022年5月28日 「ユダヤ人の女の子に優しく接したヒトラー」 の記事にした
ロシア革命後に雨後の筍のように成立した社会主義政権 二月革命によりロマノフ王朝が崩壊し、内乱を経てボリシェヴィキによる政権が成立するまで、ロシア国内とその周辺国では、数多くの政権が成立しました。ボリシェヴィキ系、メンシェヴィキ系、民主主義勢力、少数民族系、傀儡政権などさまざまな勢力がありました。社会主義政権というだけでもさまざまありまして、今回は革命後に成立したいくつかの特徴ある社会主義政権を見ていきたいと思います。 1.水兵・建設労働者ソビエト共和国(1917年~1918年) Work by FugeeCamp 3か月間存在したエストニアのロシア水兵の政権 水兵・建設労働者ソビエト共和国は1917年12月から1918年2月までの短い間に、現在のエストニア・ナルゲン島にあったソビエト共和国です。 ドイツとソ連との間に結ばれたブレスト=リトフスク条約によって、ロシアはバルト諸国を含む多くの地
著:ステイン・ミッツアー(編訳:Tarao Goo) 公式には沿ドニエストル・モルドバ共和国(PMR)と呼ばれる沿ドニエストル(トランスニストリア)はモルドバとウクライナの間に位置する分断国家であり、1990年にソビエト社会主義共和国として独立を宣言した後の1992年にモルドバから流血を伴った離脱をして以来、世界からの注目を避け続けています。 1992 年に武力紛争が終結したにもかかわらず、沿ドニエストルの状況は 1990年代と同様に複雑なままです。同国はロシア連邦への加盟を希望する儚い国でありながら、経済産出量としてモルドバへのわずかな農産物の輸出に大きく依存し続けているのです。 現在のところ、いずれも自身が未承認国家であるアブハジア共和国、南オセチア共和国と(何とか残った)アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)のみから承認されていますが、沿ドニエストルは自らの陸軍と航空兵力、そして独自
バミューダ諸島のデヴォンシャー・リダウト[1]のイラスト、1614年 ルドゥート[2](仏: redoute、英語では リダウト[3]、redoubtまたはredout[4][5]、イタリア語ではridotto)とは、要塞の主構築物[2]の外側を取り囲む、砲床を備えた守備用の小さな砦、または砦のシステムのこと。石や煉瓦で建造されることもあるが、土木工事で済ませることが多い[6]。 日本語訳は、方形堡(ほうけいほう)[7]、角面堡(かくめんほう)[8]、とりで[7][9]、要塞[7][9]、など。 ルドゥートは植民地時代、ヨーロッパの帝国の多くが軍事的戦略の一要素とした。その概念は中世からあったが、17世紀のヴォーバン式要塞で有名になった。しかし、20世紀になると、機動戦が主流となり、攻城戦の重要性は薄れた。 イングランド内戦中、砲撃から要塞を防御する目的でルドゥートが作られることが多かった
連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第1回「Sketch of Tbilisi」 2月末から海外研修先として、黒海とカスピ海のあいだにある小国・ジョージアに滞在している画家の庄司朝美。渡航直前の2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が開始された。隣国とも言えるウクライナの情勢を身近に感じながら、独自の文化を育んできたジョージアからの通信をお届けする新連載。 文=庄司朝美 長い間座っていたせいで、お腹に石を抱えているみたいだった。頭を天井にぶつけないようにギクシャクと体を動かして、ようやくトビリシに降り立った。飛行機の窓から見えたジョージアの大地は、埃っぽくて茶色がかっていて、なんというか色彩がなかった。明らかに日本とは違う光景が目の前にあるにもかかわらず、ボワボワとして異国に来たという感触がない。1年分の荷物を引き摺って空港のドアを抜けると、ようやく外の空気に触れた。19時間着
The peoples of the Roman Empire conducted their lives outdoors in gardens, parks, groves, tomb gardens and other designed environments. Whether created by highly skilled topiarii such as the freedman Tiberius Claudius Turiscus in Rome, by an anonymous team of gardeners and trainees at a tomb in Andematunum, Germania, or by a shopkeeper in Pompeii, gardens have left material traces discoverable fro
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