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ブックマーク / blog.livedoor.jp/iseda503 (4)

  • Daily Life:井上太一『動物倫理の最前線』へのコメント

    May 03, 2024 井上太一『動物倫理の最前線』へのコメント 井上さんは近年つぎつぎに動物倫理関連の著作を翻訳し注⽬されている翻訳家である。とりわけ、ナイバートやワディウェルなど、これまでの⽇の動物倫理学の議論ではほぼ取り上げられてこなかった傾向の著作を翻訳されたことは学術的に⼤きな貢献となっている。 今回コメントする『動物倫理の最前線』では、そうした「批判的動物研究」(CAS)やフェミニズム系動物倫理の紹介を中⼼にしつつも、⼈間の解放と動物の解放を対⽴的にとらえるのではなく両⽴させる「総合的解放」の⽅向性が⽰されている。その議論の途上において、英⽶流の動物解放論も批判的な検討の俎上にあがっている。 動物をめぐる思想について論じると言っても、実践家である井上氏とわれわれ倫理学者ではいろいろ視点の違い、スタンスの違いがあるだろう。また、井上氏とわたしではそもそもの動物と人間の関係のあ

  • Daily Life:ヒュームの帰納の問題の再発見

    April 14, 2024 ヒュームの帰納の問題の再発見 ヒュームの帰納の問題は現代の科学哲学で帰納をめぐる哲学的問題を紹介する際、必ずといっていいほど言及される。このように定番になっていることから、「ヒュームの帰納の問題」がヒュームが『人間性論』を公にして以来一貫して哲学の大問題として論じられてきたような印象を持つ人も多いかもしれない。かく言う私自身も科学哲学の歴史について調べ始めるまで、当然のようにヒュームの帰納の問題が二百数十年来の大問題だったと想定してきた。 しかし、少し調べれば分かるように、19世紀前半から中頃にかけての「帰納」をめぐる論争(ハーシェル、ヒューウェル、ミルらによるもの)では、ヒュームが指摘した論点は全く顧みられていない(このあたりは『科学哲学の源流をたどる』でも少し紹介したし、以下でも触れる)。では、ヒュームの帰納の問題を哲学的問題圏の中央へと押し出したのは誰

  • Daily Life:演繹と帰納についてのノートの補足(その2)

    April 18, 2024 演繹と帰納についてのノートの補足(その2) 元記事http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1840017.html 補足その1http://blog.livedoor.jp/iseda503/archives/1938793.html 今回は主に1930年から1950年までの論理学教科書、科学方法論書等で「演繹」と「帰納」がどう使われているかを確認していこう。この話題の最初のエントリーで紹介したように、現代よく使われる「前提がすべて真なら結論も必ず真になる」という意味で演繹を使う事例は1930年のスーザン・ステビングのや1934年のコーエン&ネーゲルのなどに見られる。しかし、彼らのオリジナリティや影響の範囲を評価するにはその前後の他の著作も確認する必要がある。また、帰納については彼らのでは演繹と対応する形で再定

  • Daily Life:演繹と帰納についてのノート

    July 09, 2015 演繹と帰納についてのノート 以前他の分野の研究者の方と仕事をしていて、演繹というのを「普遍命題から個別命題を導く推論」と理解している方がいて、現代ではその意味で演繹を使うことはまずないです、とコメントしたことがある。しかしそういえば、演繹と帰納という言葉の用法はどのように変遷してきているのか、調べたことはなかった。今後綿密な調査は必要になると思うがとりあえず目立つものをならべておく。(数学的帰納法についてベインとサモンの項及び結論部分に追記しました。誤記をいくつか修正しました) (1) Mill, J.S.  Systems of Logic (1843) 英米の科学方法論の教科書として19世紀には非常に大きな影響力を持った。ただし、演繹と帰納の関係についてのミルの解釈は独特で、あらゆる推論は帰納であると主張して論争をまきおこした。「演繹」と「帰納」という言葉

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