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ブックマーク / jyunku.hatenablog.com (5)

  • 剣山ソロモン王の秘宝発掘をある男の生き甲斐にさせたトンデモ本とは⁉ - 神保町系オタオタ日記

    ランキング参加中歴史 4年前の秋、星野画廊近くの神宮道を歩いていたら、ある看板にビックリ。京都写真美術館の「西田茂雄写真展 ソロモンの秘宝発掘に挑んだ男」で、会期は11月19日~24日であった。展示によれば、明治34年生まれの宮中要春(みやなか・としはる)は、昭和27年古屋で買ったでソロモン王の秘宝を知ってから、20年の歳月をかけて発掘を続けたという。剣山にあるとされるソロモン王の秘宝については、拙ブログの「剣山に隠されたソロモン王の秘宝をめぐる怪しい人達(その1) - 神保町系オタオタ日記」、「剣山に隠されたソロモン王の秘宝をめぐる怪しい人達(その2) - 神保町系オタオタ日記」などで紹介したことがある。しかし、宮中という人物は知らなかった。 撮影した西田氏は、『阿波の面魂(つらだましい):西田茂雄写真集』(西田茂雄、平成8年8月)で宮中を含む徳島出身者17人の面(つら)を紹介してい

    剣山ソロモン王の秘宝発掘をある男の生き甲斐にさせたトンデモ本とは⁉ - 神保町系オタオタ日記
  • 大槻憲二が主宰する東京精神分析学研究所の京都分室主任だった前衛画家小牧源太郎 - 神保町系オタオタ日記

    伊丹市立美術館などが統合されてできた伊丹ミュージアムへ、先日行ってきた。「小牧源太郎 生きとし生けるもの」展である。なお、会期は終了しています。SF的な作品の「初期シュルレアリスム的時代」はもちろん、川勝政太郎の史跡・美術同攷会に参加したり、天野俊一の仏教美術文様図を模写し作品にとりいれた「仏画的時代」や戦後の稲荷神、オシラ神、道祖神などを取り込んだ「土俗信仰的時代」の作品も注目すべきものであった。ここで、小牧が昭和23年6月から26年12月まで東京精神分析学研究所の京都分室主任だったことを知った。 江戸川乱歩が大槻憲二主宰の同研究所の所員だったことは、「大槻憲二の東京精神分析学研究所 - 神保町系オタオタ日記」や「東京精神分析学研究所創立期のメンバー - 神保町系オタオタ日記」で言及したことがある。落合教幸・阪博志・藤井淑禎・渡辺憲司編『江戸川乱歩大事典』(勉誠出版、令和3年3月)には

    大槻憲二が主宰する東京精神分析学研究所の京都分室主任だった前衛画家小牧源太郎 - 神保町系オタオタ日記
  • 昭和19年《國之楯》を完成した直後の小早川秋聲が『南木芳太郎日記五』に - 神保町系オタオタ日記

    昭和19年2月22日小早川秋聲の《國之楯》が完成した。この作品は、一昨年の夏京都文化博物館の「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」展で展示された。この時期の小早川が、『南木芳太郎日記五』(大阪市史料調査会、令和4年11月)に出てくるので、紹介しておこう。 (昭和十九年) 二月十一日(金曜日)紀元節 (略)難波別院に至る。(略) 輪番所にて鹿野氏・長島氏・山口氏と会見。明治天皇御聖蹟顕彰について相談す。(略) 二月十七日(木曜日) ◯京都東山巡り護国神社前東一休庵にて(大谷大学徳重氏*1・小早川氏・山口氏・鹿野氏等と会合の事、午後四時の約束也)。 (略) 二月二十四日 (略) ◯午後五時、難波別院へ行き安井栄之(少年審判所長)・勝山検事・藤岡事務長官・小早川秋声氏等と協議後、信濃橋ふた葉にて会す。 二月二十八日(月曜日) (略) ◯難波別院発起人会欠席す、電話にて断る。 三月十日(金曜日)午後

    昭和19年《國之楯》を完成した直後の小早川秋聲が『南木芳太郎日記五』に - 神保町系オタオタ日記
  • 謎の奥付検印を残して消えた日本心霊学会の編集者野村瑞城 - 神保町系オタオタ日記

    これも知恩寺秋の古まつりで三密堂書店から。野村瑞城『白隠と夜船閑話』(日心霊学会、大正15年5月初版・同年11月9版)を200円で。実は、既に同書の戦前発行分と戦後発行分を持っているので、普通なら買わないところである。しかし、写真のようにびっしりと書き込みがされていて、面白そうだと買ってみた。こういう「痕跡」*1を買うと、処分しようとする時に古屋から「値段が付きませんが…」と門前払いされるので、よい子はマネしないように。 赤鉛筆と青鉛筆も使った書き込みで、一種の芸術性すら感じる。文への書き込みは傍線のほか自身の感想のようだが、遊び紙や扉などに書いてあるのは、「次世代デジタルライブラリー」で調べると他のからの転記であった。伊藤尚賢・森繁吉『一人一人の体力精力能力増進法』(一誠社、大正10年12月)と慧鶴『白隠禅師寝惚之眼覚』(前田文助、明治30年9月)が確認できた。書き込みをした

    謎の奥付検印を残して消えた日本心霊学会の編集者野村瑞城 - 神保町系オタオタ日記
  • 昭和10年3月坪内逍遥の葬儀に伴う妻坪内センから岡山の教育者花田一重宛礼状 - 神保町系オタオタ日記

    岡山の教育者・郷土史家であった花田一重宛書簡群の中でも、ひときわ異彩を放つ黒枠の封書である。昭和10年3月4日付け(封書の消印は同月8日)の坪内センからの礼状が入っていた。センは、同年2月28日に亡くなった坪内雄蔵(逍遥)のである。逍遥の葬儀告別式は3月4日青山斎場で早稲田大学学園葬により行われた。礼状の文面は、弔詞・厚志への礼である。逍遥と地方の一教員*1だった花田との関係は、今後調べる予定である。 おそらく何百枚、いや千枚を超えたであろう印刷された礼状だ。しかし、早稲田大学図書館や坪内博士記念演劇博物館での所蔵が確認できなかった。日近代文学館の「特別資料検索」でもヒットしない。入力されていない所蔵品の中に含まれている可能性もあるが、意外と珍しい資料かもしれない。もっとも、特に新知見が得られるわけではない。 逍遥協会編『坪内逍遥事典』(平凡社、昭和61年5月)によれば、センは文久3年

    昭和10年3月坪内逍遥の葬儀に伴う妻坪内センから岡山の教育者花田一重宛礼状 - 神保町系オタオタ日記
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