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ブックマーク / rekishi.yoka-yoka.jp (1)

  • 応仁の乱~戦国乱世を可愛らしく表現

    トップ > サイトマップ > 1485年 山城の国一揆勃発 山城国南部(京都府南部)で国人と呼ばれる土着の武士と農民たちを中心とした大規模な一揆。 応仁の乱の終結後も各地で守護大名同士の小競り合いは続いていた。 山城国南部では応仁の乱の原因のひとつともなった畠山政長と畠山義就との家督争いが続いており、この年の10月以来、両軍が対陣してこう着状態となっていた。 これに迷惑していた国人、農民たちは宇治の平等院に集まり評定をもった。この評定が『国中掟法』を取り決め、両軍への撤退を要求。受け入れられなければ武力闘争も辞さない構えを見せた。 両畠山家はこれを受け入れ撤退。 山城国南部では以後8年間にわたって、一揆指導者らによる自治的支配が行われた。 ※【応仁の乱の背景】管領・畠山家の後継問題 ※【応仁の乱】1477年11月20日、11年におよび応仁の乱終結

    iR3
    iR3 2012/04/02
    「百済は、その後も豪族が兵を集めて唐や新羅に抵抗し、日本にも救援をもとめてきた。」
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