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ブックマーク / www.y-history.net (6)

  • 突厥

    突厥 モンゴル高原で活動したトルコ系の遊牧民。552年にユーラシアの東西にまたがる突厥帝国(第一帝国)を建設。西ではササン朝、東では隋・唐帝国と同時期であった。583年に東西に分裂し、東突厥は隋の支配を受ける。隋末に再び有力となり、唐の建国を助けたが、太宗の全国統一後はそれに服する。682年、自立してモンゴル高原に第二帝国を築き、独自の突厥文字を作り唐とも交渉があった。しかし744年に同じトルコ系のウイグルに滅ぼされた。 「とっけつ」が一般的だが、「とっくつ」とよむのが正しい。テュルクの音を漢字に写したもので、トルコ人のこと。北方民族のひとつとして、モンゴル高原で活動していたトルコ系の遊牧民で、はじめ柔然(モンゴル系)に従属していたが、6世紀中頃にアルタイ山脈西南地方のセレンガ川流域を中心に部族を統合し、優秀な鉄器を生産するようになり、552年に柔然を破って独立した。その王を柔然と同じく可

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    iR3 2020/03/04
    世界史を見直している。突厥=トルコ を知ることで、空白がどんどん埋まってくる。トルキスタンってまさにトルコ! 悪党はトルコの子孫を虐待しているのね。
  • 人類の出現年代

    分子生物学による化石人骨の研究の進展によって、人類の出現は約700万年前とされるようになっている(2018年現在)。 変動する人類出現年代 山川出版社『詳説世界史B』現行版(2016年改定版)では、人類の出現年代は約700万年前とされるようになった。他の教科書、たとえば実教出版社の世界史Bでは「人類が独自の系統の進化のコースに入ったのは、700万~500万年前のアフリカ大陸であることがわかってきた」としている。700万年前説は、2001年にアフリカのチャドで猿人の化石人類であるサヘラントロプスが発見されたことによる。 2007年度使用の山川詳説世界史では人類の誕生は約500万年前とされ、その前年度版までは約450万年とされていた。450万年前という数字は1994年に発見された、ラミダス猿人の年代から割り出されたものである。ところが、90年代終わりから2000年代初頭にかけて、人類学上の新発

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    iR3 2016/05/07
    化石の発見からのアプローチとDNA解析からのアプローチ http://karapaia.livedoor.biz/archives/52126103.html など で人類の歴史の解明がさらに進むことを期待する
  • アフリカ単一起源説

    アフリカ単一起源説 現在人類学の主流となっている、現生人類(われわれの直接の先祖)の起源をアフリカに求める説。 現生人類発生の地はアフリカか 現生人類である「新人(ホモ=サピエンス)」の起源については、「旧人」から連続して進化したと見る見方と、「旧人」とは別に出現したとする見方とが対立していた。前者は「多地域進化説」といわれ、世界中の各地域で原人の時代から現代まで連続して人類は進化してきたと考え、北京原人の子孫が東アジア人となり、ジャワ原人の子孫が東南アジア人(やアボリジニ)となり、ネアンデルタール人がクロマニヨン人を経て現代のヨーロッパ人となったと主張していた。 現生人類へのシナリオ ところが分子生物学の発達によって、化石人類の研究が進み、後者の考え方が有力となっている。特に「現生人類アフリカ起源説」が1987年に提唱され、現在ではほぼ確実視されている。その考えでは現生人類出現のシナリオ

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    iR3 2016/05/07
    30年前の仮説はミトコンドリアのDNAベースなのね。今後核DNA解析でさらなる解明が進む期待“「現生人類アフリカ単一起源説」とは、1987年、アメリカの人類学者レベッカ=チャンなどのブループが発表した。”
  • 人類とは

    人類は約700万年前に類人猿から分岐して出現し、いくつかの種を形成しながら進化、分化した。その一種である現生人類(ホモ=サピエンス)は約20万年前、アフリカで生まれ、世界中に拡散したと考えられる。現生人類以外の化石人類は絶滅した。 定義と特徴 人類は生物学上の分類では「哺乳綱霊長目ヒト科」に属する。大型類人猿と近い関係にあり進化の過程で分化してきた。現在地球上に生存している人類はすべて同一の種(交配できる生物集団)であり、人類学上はホモ=サピエンス(現生人類)と言われる。人類の特徴は、人類学的には「直立二足歩行」と「犬歯の消滅」が目安とされている。人類は、ある時期から脳容積が大きくなり、知能を発達させ、道具や言語を使用するようになった。そして他の動物には見られない、文化を継承・発展させることによって「歴史」を形成してきたのが人類である。地球上に人類が出現した年代は、化石人類の研究が進むに従

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    iR3 2016/04/28
    ほ〜DNA操作された? “最近の分子生物学の進歩によって化石人類のDNA分析が進んだ結果、旧人(ネアンデルタール人)と新人(現生人類、ホモ=サピエンス)の関係はその順ではなく、新人の方が早く登場した”
  • 用語リスト - 世界史の窓

    ア.オリエント世界オリエント中東メソポタミア肥沃な三日月地帯ティグリス・ユーフラテス川メソポタミア文明 イ.シュメール人の都市国家青銅器シュメール人ギルガメッシュ叙事詩シュメール文化都市国家ウルウルの軍旗ウルクラガシュアッカド人サルゴン1世セム語系ウル第3王朝シュメール法典 ウ.メソポタミアの統一と周辺地域の動向アムル人バビロニアバビロン第一王朝バビロンハンムラビ王ハンムラビ法典民族移動インド=ヨーロッパ語族ヒッタイト小アジア/アナトリア鉄器ハットゥシャ(ボアズキョイ)カッシートミタンニエラム人イラン高原多神教マルドゥク神ジッグラト楔形文字占星術太陰暦1週7日制太陰太陽暦 エ.エジプトの統一王朝エジプトハム語系エジプト文明ナイル川ノモスファラオ古王国メンフィスクフ王ピラミッド中王国テーベヒクソスエジプト新王国トトメス3世アメンホテプ4世(アメンヘテプ4世)/イクナートン(アクエンアテン)テ

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    iR3 2016/04/28
    世界史のサイト発見♪
  • ポトシ銀山

    ポトシ銀山 1545年以来、スペインが経営した南米(現在のボリビア)の銀山。産出した銀はスペイン帝国の経済を支え、さらにヨーロッパに価格革命をもたらした。 1545年に発見された南アメリカ大陸、スペインの植民地であったペルー副王領の銀山。現在はボリビアに含まれている。スペインの入植者はエンコミエンダ制によるインディオの強制労働で経営し、採掘した銀を国に送った。こうしてもたらされた銀はヨーロッパの価格革命をもたらしたと言われる。また、16世紀後半以来、中国貿易でも使われ、大量のスペイン銀として流入し、明での銀の流通をもたらした。 ポトシ銀山の発見 ポトシは標高4000mを超すアンデス山脈にあり、山そのものは800m程度である。1545年4月、グァルパという名のインディオがリャマを追って山に入った際に銀鉱を発見した。それがスペイン人の耳に入り、銀鉱床を確認したスペイン人が採掘権を取得した。そ

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    iR3 2016/04/28
    白人のモンゴロイドへの収奪は、形を巧妙に変えつつ現代も続いているという視点もあるな
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