プログラマって何ができたら「俺プログラマだぜー」って言っていい?CとかJavaとか何がどのくらいできれば、その言語を使えるって言っていいものなのか。 言語の使い方やたいていのアルゴリズム実装も調べたら出てきそう。ググった結果のコピペプログラムも何も考えずに使うのはよくないけど、車輪の再発明はしない方が効率よさそうだし。 言語もアルゴリズムも調べれば分かるとなると、プログラマの価値ってなんだろ。作りたいものを理解して、世の中にあるものをうまく組み合わせて繋げて動くようにすること?その後のメンテのしやすさとか、考えることはあるだろうけど、そんなにコードにオリジナリティを発揮することある?
頻尿頻便で、トイレに駆け込めるように出口近くないと漏らすリスク高いんだけど…… そんなのは知らない!門番は悪!はい終了!ってこと??? 障害者はセーフでこっちはダメなの? マジでたびたびきわどいからホント禁止されると困るんですけど 追記 ドアまでの数メートルで変わるわけない!とか言ってるバカな人って、都内の満員電車の経験がないんだろうね 他の人より先に出れない=通路の前が詰まるだから 想像力がなさすぎ 毎回降りろって言われても…… それで乗れなくなったらどうすんのよ…… 基本的に横向きで邪魔にならんようには心がけてるけどそれでもアウトなのかよ退職願出すか鉄道会社が電車に乗るなって言ってますつって
一緒に泊まり旅行したらとか、家に上げたらセックスOKのサインみたいなの教えてくれ 間違って提案したりしないようにしたい
自認によって性別は分けられるらしい。誠に正しいとと思う。我々はなりたい自分になり、正しい存在へとなるべき。 思春期に皆が疑問に思うように、自分は何者かと常に疑問だった。いい年してからも疑問だったけど、とうとう理解した。私は犬だ。 きっかけは実家で暮らしてたパウチと戯れてた時だ。パウチは犬の名前な。両親が亡くなったらパウチは私が養うのかと思ったとき、ボスとしての天啓を得た。 勿論パウチと血の繋がりはない。両親は人間だ。でも産まれながらの男女より、自らが信じる性を選べる時代なら、私の性は犬であるのだから犬として暮らせるはずだ。 犬として暮らす上で、人間の体で犬として自然に振る舞うことが、人間側のコストになることよくわかる。でも人間の持つインフラに嘘をついてただ乗りすることは正しいことだろうか? 日本国籍は確かに持ち、税金を納めてもいるが、全てやめるつもりだ。ただ、私が動物愛護法などに基づいて排
ワシントンは「木を切るのに8時間を与えられたら、私はそのうち6時間を使って斧を研ぐ」と語ったという。 ではそれを一般的なIT業界の現場に当てはめるとどうなるかが表題である。 最初にはっきり言うが、ワシントンの語った言葉は強者の理屈である。 研げば木に十二分な傷をつけられるような斧を最初から持っている前提を余りにも当然のものとしている。 弱者の世界はそれとは全く違う。 木を切るにはどうも斧やチェーンソーを使うと良いらしいと知る所から全ては始まる。 同時に、自分たちがそれらを手に入れるのに十分な資産がないことに気づく所にたどり着いてようやく旅の筋道が立つ。 斧を作ろうにも金属を掘っているような時間はないことや、そんな事をするぐらいなら買ったほうが安いのにその金すらそもそもないという馬鹿馬鹿しさとの戦いにまず生き残る必要がある。 ようやく見つけた道は、石斧で妥協するか、木に背を向けるか、素手で木
初めて彼の部屋に行ってお昼にパスタ作ってくれたから お皿洗うねーって洗ってたらうっかり落として割ってしまって そしたら彼が割れたの拾って細かい破片も拾って接着剤でくっつけようとするから 弁償するから100円ショップ行こって言うのに返事もしないからイライラした レアなお皿ならともかく白地に青で絵が書いてある殺風景なお皿なんかいくらでも売ってるじゃない 新しいの買えばいいだけだし私が払うんだから文句ないでしょ なに嫌味みたいに張り付けようとしてんのよほんと気分悪いわ
20代後半実家暮らし 父親はいない 母親は足腰を悪くしているから介護状態 とはいえ本格的な介護ではなく、近場、例えば近所のコンビニやスーパーなら一人でも出掛けられる ただ電車に乗る距離になると付き添いがいないと出掛けられない だから電車に乗る距離の外出にはいつもついて行く 多分本格的な介護をしている人からすればその程度って位のもの その程度の軽い介助 自分も心臓に持病があるから一人暮らしして発作が起きるのが怖くて、持ちつ持たれつ暮らしてる 幸い仕事も在宅の仕事だから丁度良いんだと思う 兄弟は、私と違って仕事が忙しくて世界中飛び回ってる 会う度いつも私にばかり任せてごめんと言ってくれる 手伝えない分、と必要な費用は持ってくれている 母親にもいつも面倒見てくれてるからと家賃すら請求されて事がない きっと私は人より恵まれてると思う 甘えている自覚がある 以前、ちょっとした飲み会に出たときにその歳
いづれの御時にかおそらくは文保2年、余は長くNTTなる組織に尽くしつつついに情勢に飽きてNTTを去り。 さんぬるたうじのことを思い出しつつ、これみながためにならずや。 余、家人あはせて5人あり。しかれどもNTT、余のためのろくなほふそくするものなり。NTTに申すもかなはず。 また余のコンピュータプログラマとして尽くすのたふとしことをおぼめかすことはなはだこころづきなし。 職とめてのちおよそ500年、ついに余おほやけより御文を賜りさらに幾ばくをすぐす。いとうれし侍り。 こたみおほやけもまたかはりたまひにしかば余もGoogleなるいにしへの企業に誘はれたてまつりてこれをうける。 日の本へこころをつくしてはすべて礼あらじ。さぶらふ人こそこころおき給ふこと知らまほしけれ。 うつせみの金を惜しみ波に濡れ、GAFA、玉も刈り食はむ
今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。 当時、ぼくは20歳でニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生に絶望しながら生きてきていた。 ぼくはそのとき大学を中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分の人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強をしたことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験は成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生のほとんどを見下していたように思う。 大学に入ったときは「遊びま
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