ホテルとミュージアムを併せ持つベネッセハウスを擁し、年間35万人もの観光客が訪れるまでになった瀬戸内海に浮かぶ直島。一見成功したように見えるこの島ですが、高城剛さんはメルマガ『高城未来研究所「Future Report」』の中で、「よろしくない観光地」の代表例と手厳しい指摘をしています。 よろしくない観光地、直島 今週は、瀬戸内海の直島にいます。 近年、アートの島として世界的な評価をうけている直島を、僕は事あるごとに「よろしくない観光地」の代表例として名をあげています。 一般的にビジネスシーンにおいて、成功例は頻繁に取りあげられますが、観光地も例外ではなく、成功例は数多くあっても、失敗例が取り上げられて検証されるようなことは滅多にありません。 しかし、問題を冷静に検証しなければ、別のプロジェクトでも同じことが起きてしまいます。 ですので、一見良いと言われていても実は大きな問題がある(もしく
このブログで何度か明治初期の廃仏毀釈のことを書いてきた。 この廃仏毀釈のためにわが国の寺院が半分以下になり、国宝級の建物や仏像の多数が破壊されたり売却されたりしたのだが、このような明治政府にとって都合の悪い史実は教科書や通史などで記載されることがないので、私も長い間ほとんど何も知らなかった。 梅原猛氏は「明治の廃仏毀釈が無ければ現在の国宝といわれるものは優に3倍はあっただろう」と述べておられるようだが、ではなぜ明治初期に廃仏毀釈がおこり、数多くの文化財を失うことになったのか。 標準的な教科書である『もういちど読む 山川日本史』には、明治政府は「はじめ天皇中心の中央集権国家をつくるために神道による国民教化をはかろうとし、神仏分離令を発して神道を保護した。そのため一時全国にわたって廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。」(p.231)と簡単に書いてあるだけだ。 「廃仏毀釈の嵐」などというわけのわからない言
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