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歴史と広島に関するihokのブックマーク (3)

  • 見出しはただ一言「HIROSHIMA」 米記者が1946年に書いた恐怖 - BBCニュース

    ジャーナリズムの歴史でも特に優れていると名高い雑誌記事の発表から、8月末で70年が過ぎた。記事の見出しはただひと言、「HIROSHIMA」。ジョン・ハーシー氏が書いた3万語にもなる記事は、核兵器による恐怖の全容を戦後の世の中に伝え、大きな衝撃をもたらした。BBCのRadio4編成責任者だったキャロライン・ラファエル氏が、その経緯を振り返る。 私の手元に、1946年8月31日発行の米誌ニューヨーカーがある。表紙のイラストは実に無難で、陽気で無邪気な夏の公園の風景が楽しく描かれている。背表紙ではニューヨークの球団、ジャイアンツとヤンキースの監督が、たばこは「チェスターフィールドで決まり」だと宣伝している。 ニューヨークのタウン情報と映画欄、ダイヤモンドや毛皮、車やクルーズのきらびやかな広告に続いて、編集部からの簡単なお知らせが載っている。そこには、この号全体をたったひとつの記事に充てると書かれ

    見出しはただ一言「HIROSHIMA」 米記者が1946年に書いた恐怖 - BBCニュース
  • オバマ大統領の広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」

    HIROSHIMA, JAPAN - MAY 27: U.S. President Barack Obama gives a speech during his visit to the Hiroshima Peace Memorial Park on May 27, 2016 in Hiroshima, Japan. It is the first time U.S. President makes an official visit to Hiroshima, the site where the atomic bomb was dropped in the end of World War II on August 6, 1945. (Photo by Atsushi Tomura/Getty Images)

    オバマ大統領の広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」
  • 祖父は二次被爆者だった

    1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。 そして当時中学生だった祖父は、6日から1週間の内に広島市へ入市した。 これは父から聞いた話であり、私が祖父から直接聞いたのは「広島の原爆で二次被曝したから手帳を持ってるよ」だけだった。 多分子供に話す内容ではないと思ったのだろうが、祖父の死後、やはりどうだったのか気になった私は父親に聞いた。 1945年8月6日、広島県にある祖父の通っていた中学校(中心部のでは無いらしいが調べてみても分からなかった)の校長・教職員・生徒は、 陸軍学校の掃除という事で集合し、広島の中心地へ向かった。だが、9人だけは違った。 そこには祖父も含まれていた。祖父はその時、何らかの事情で行く事が出来なかった。 他にもスイカをべ過ぎてお腹を壊した生徒や、寝坊した生徒など祖父を含めて9人が行かなければいけない大切な仕事を休んでしまった。学校側もお怒りだったらしい。 だが

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