水の浄め(きよめ)と火の穢れ(けがれ):『塩の民俗学』から(随想録―42) そもそも『塩の民俗学』の著者の亀井地歩子さんは新潟県糸魚川地方と長野県の松本地方を結んだ塩の道を調べていたそうですが、専売公社が扱う精製塩が自然塩とは異なり、いわゆるニガリ成分を除去してしまっているので、将来の日本人に悪い影響があるに違いない、との確信を持つ「自然塩普及協会」の武知国夫さんと知り合う機会があり、この本の執筆に繋がったそうです。(東京書籍:1979年初版) 塩はまずもって、「聖なる物」と見なされます。その防腐力、殺菌力は古くから認識されていて、浄め(清め)の塩といって、葬式があった時には死者の穢れを除去するために撒かれますし、嫌な人物が立ち去った後、塩を撒くこともあります。そして塩を含む海水に入って身を清めるのを「禊:みそぎ」と言いますし、直前に挙げた厄介者を追い払う儀式を「祓い:はらい」と言います。