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ブックマーク / yari3180.hatenablog.jp (3)

  • 好きだから距離を置く、好きだからそばに寄る - 余暇の記録

    好きなものを、変わらずに好きだと噛みしめたくなったとき。 とりとめもなく思ったことを、忘れないうちに書き留めておこうと思います。 ときには距離を置くことで もう、すっかり自分の生活に根付いてしまった習慣があるとするならば。 好きなことを好きなままでいつづけたいなら、ときどき距離を置いて外から眺める機会を作るといいのかもしれない。 距離を置いてみれば、また戻ってきたとき、感性を鋭くしてそれに接することができる。 自分はなぜそれに興味を持ったのだろうか、なぜ飽きずにそれを今でも続けていられるのだろうか? 走っているうちに抱きかかえてきたものを一旦卸してみれば、もう少し遠くに飛び立つことだってできるだろう。 距離を置いてみれば、また戻ってきたとき、それが偶然の積み重ねでできていることがわかる。 それは、初めからそこにあったものだっただろうか? 普段あるものがいつ変わってしまうやもしれない限りある

    好きだから距離を置く、好きだからそばに寄る - 余暇の記録
    ikazoike
    ikazoike 2008/02/19
    "貪りたくなる気持ちを抑えつつ、ためつすがめつ眺めながら、手探りを続ける。"
  • リアルな知人にブログを知られるということ - 余暇の記録

    リアルな人にネットでの存在を知られるとき ブログを始めてまだ1年も経っていないが、最近になってリアルに人間関係のある人から「あなたのブログを読んでいる」と声をかけられることが立て続けにあった。 これまでリアルな知り合いにブログを書いていると口にしたことはないのだが、最近は特定のキーワードで検索すると自分の記事が引っかかることが増えてきたためだろうか。僕と直接関係のある人が記事を読めば「このhatayasanというのは、もしかしてあの人のことだな」と気づくのは、ある意味では自然の成り行きだとも思えた。 初めて知人から「読んでいる」ことを告げられたときは「ああ、これがリアル知人にばれたということなのね」といささか驚いたものだが、不思議と嫌な気分はしなかった。 なぜリアルな人にブログの存在を知らせないのか 公開されたウェブ上に文章を公開すれば、ものの数分もしないうちに検索してアクセスできる状態に

    リアルな知人にブログを知られるということ - 余暇の記録
    ikazoike
    ikazoike 2006/09/18
    ふーむ。
  • ブログの閉鎖に立ち会うとき - 余暇の記録

    この土日はネット断ちをしていたのだが、家に戻りいつものようにはてブにログインすると、自分の愛読してきたはてなユーザがブログを相次いで閉鎖していることがわかり、なんともいえない寂寞とした思いにとらわれた。 そのユーザたちははてなから既に退会していて、ダイアリーを読むことはもはや叶わなかった。 それでも最後のエントリを読みたくて、RSSリーダーに残っていたフィードのキャッシュを掘り起こして、既にブログは閉鎖されているのにブックマークしてコメントを残した。 退会した今、そのユーザたちが僕の記事に残してくれたはてブのコメントを読み返すことも、もうできない。 それでも、秘かに愛読していたブログの作者が僕の記事に立ち止まって目を通してくれたことを、今こそたまらなくうれしく、愛おしく感じる。 あなたの含蓄深く示唆に富んだ文章を読めたのは短い期間だったけど、あなたの記事を「あとで読まず」その場で自分の中で

    ブログの閉鎖に立ち会うとき - 余暇の記録
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