タグ

ブックマーク / number.bunshun.jp (71)

  • フェラーリ、新幹線、大阪メトロ…凄腕“世界的デザイナー”は、なぜJ2山形の新エンブレムを「代表作」と呼ぶのか?(生島洋介)

    「いや、お金の問題じゃないんです。これは名誉なことですから」 2021年7月某日11時。山形と東京、そしてロサンゼルスをつないで行われた最初のオンライン・ミーティングで、予想外の言葉が発せられると、J2モンテディオ山形の鳥飼健司事業アドバイザーは思わず目を潤ませた。 現在のチーム名となって25年を機に、長年愛用したエンブレムの変更を検討してきた山形は、12月10日に地元出身の世界的デザイナー、奥山清行氏が手掛けた新デザインの発表を行った。 就任して3年の相田健太郎社長が「時代の変化に合わせ、モノとして使いやすくする必要がある」と考えてきたエンブレム。冒頭の言葉で動き出した“夢”のプロジェクトが形となった。 予算規模の格差は100分の1以上? 奥山清行/ケン・オクヤマと言えば、あのフェラーリをイタリア人以外で初めてデザインしたことで知られる人物だ。創業者の名を冠した記念モデルである『エンツォ

    フェラーリ、新幹線、大阪メトロ…凄腕“世界的デザイナー”は、なぜJ2山形の新エンブレムを「代表作」と呼ぶのか?(生島洋介)
    imakita_corp
    imakita_corp 2021/12/25
    奥山清行
  • 「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)

    2021年、日サッカー界最大のジャイアントキリングは、天皇杯2回戦で起きた“おこしやすの奇跡”だった。関西1部リーグ所属のおこしやす京都ACが、J1の強豪サンフレッチェ広島を5対1で破ったのだ。その舞台裏には、「まともにボールを蹴ったことがない」と語るサッカー未経験の分析官がいた。(全2回の1回目/後編へ) 学生時代、部活に所属していなかった“サッカー店長”こと龍岡歩は、サッカーを見ることに多くの時間を費やした。高校卒業後は、9年間の海外放浪を経てサッカーショップに就職。並行して書いていた戦術ブログが関係者の目に留まり、サッカー素人でありながらJ3の藤枝MYFCに分析官として加入することなる。その後、おこしやす京都ACに活躍の場を移した龍岡は、先述したジャイアントキリングの当事者となった。 「試合前に『この試合勝てるよ』って言ったら、チームのみんなに笑われました(笑)。監督ですら10回に

    「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)
  • 往復ビンタ10発以上「きつい振りすんな!」竹田高剣道部主将“死亡事件”から12年…遺族が明かす“暴力指導の壮絶さ”(中小路徹)

    「おにぎり、1個? 2個?」 「1個でいいや。部活きついとべられんけん」 その朝、弁当について母とそんな会話を交わした長男は、生きて帰ってこなかった。大分県立竹田高で起きた剣道部主将熱中症死亡事故。今夏、十三回忌を迎えた両親はこれまで、司法の場で指導者の責任を問い続けてきた。その思いは、スポーツ指導での暴力への厳罰化という形の抑止につながっている。 2009年8月22日。工藤剣太さん(当時17)が死亡した経緯から振り返る。ここまで描写できるのは、両親が部員たちの協力を得て、証言を聞き集めたからだ。当初、大分県の教育委員会と学校関係者が示した報告書は、ごく簡単な時系列に過ぎなかった。部の後輩でもあり、事の一部始終を見ていた弟が「事実と違う!」と怒りをあらわにしたことから真実追及がなされたことを、まず確認しておきたい。 水分補給は少なめ、嘔吐する生徒に竹刀で叩く 練習は午前9時から始まった。

    往復ビンタ10発以上「きつい振りすんな!」竹田高剣道部主将“死亡事件”から12年…遺族が明かす“暴力指導の壮絶さ”(中小路徹)
  • 「俺は目に指を入れて…」クマと生身で対戦したマサ斎藤、藤原喜明らが味わった“恐怖体験”とは《プロレスラーvs熊》(堀江ガンツ)

    クマがフライングメイヤーを繰り出す プロレスラーが“対戦”したクマは、もちろん野生のクマではない。レスリング・ベアという特別に調教されたクマで、「テリブル・テッド」というリングネームのクマが有名。 人間vsクマの闘いは、主に1950年代から1970年代ごろまで、アメリカでたびたびアトラクション的に行われており、当時、アメリカマットで活躍した日人レスラーも何人かクマと戦っている。 その代表的なひとりが、70年代から80年代にかけて、アメリカ南部のテリトリーやカナダで活躍。のちにカナダ・カルガリー地区のコーチとしてダイナマイト・キッド、ブレット・ハート、馳浩、橋真也らを指導したことで知られるミスター・ヒト(安達勝治)だ。 ミスター・ヒトは、中島らもとの共著である、その名もズバリ『クマと闘ったヒト』(MF文庫ダ・ヴィンチ)の中で、レスリング・ベアとの闘いを次のように語っている。 「おれがやっ

    「俺は目に指を入れて…」クマと生身で対戦したマサ斎藤、藤原喜明らが味わった“恐怖体験”とは《プロレスラーvs熊》(堀江ガンツ)
  • 《全国制覇》智弁和歌山「マウンドに集まるの、やめないか?」中谷監督が甲子園の前に選手へ伝えていたこと(米虫紀子)

    “智弁対決”の決勝戦を制し、21年ぶり3度目となる夏の甲子園の頂点に立った智弁和歌山高校。和歌山大会の勝ち上がりと甲子園での戦い方を描いた記事を再公開します。好投手・小園健太(市和歌山・3年)を攻略して夢の舞台にたどり着いたチームに中谷仁監督が伝えていたのは「相手を尊敬する気持ち」でした。(初公開:2021年8月8日配信) 甲子園切符をかけた今夏の和歌山頂上決戦は、プロもうなるハイレベルな駆け引きの連続だった。 5回を終えた時点で0-0。その陰には、市和歌山の小園健太-松川虎生というプロ注目のバッテリーと、智弁和歌山打線の息詰まる攻防があった。 視察していたNPBのあるスカウトはこう語った。 「小園君、松川君のバッテリーは、1球たりとも失投は許されないと考えて、当に丁寧に投げている。智弁和歌山打線は、初球からどんどん仕掛けに行っている。小園君のようなピッチャーに対して最初から仕掛けるんで

    《全国制覇》智弁和歌山「マウンドに集まるの、やめないか?」中谷監督が甲子園の前に選手へ伝えていたこと(米虫紀子)
    imakita_corp
    imakita_corp 2021/08/30
    勝者の特権で且つ全参加者の憧れ行為だからそこまでって気も >>礼に始まり礼に終わると言われる高校野球で、~相手に敬意を表して、~まずは礼を終えて、スタンドの応援にもお礼を述べた後に、感情を爆発させたらいい
  • 元チア部の私が思い出す「彼氏が甲子園球児だった青春時代」 スポーツの強さは“社会との断絶”と引き換えなのか?(小泉なつみ)

    オリンピックがはじまる少し前、開幕の是非を討論するテレビ番組を見た。そこで出演者の有森裕子さんが、「アスリートファーストではなく、社会ファーストで考えるべき」という主旨の発言をしていて、深く心に残った。 討論番組の放送時よりもさらに事態は悪化しているが、パラリンピックも開幕している。開幕直前、国際パラリンピック委員会の人が、「《パラリンピックの中》と《外の社会》はまったく関係がない」と言っていて、心底驚いた。 夏の甲子園も新型コロナウイルスの感染が相次ぎ、辞退する高校も出る中、大会は強行された。 「スポーツ」だけがパラレルワールドにある状態が続いているが、この感じは、どこか身に覚えがあった。「社会の中のスポーツ」は私の中でずっと、パラレルワールドだった。その世界は「スポクラ」という名前だった。 なにもかもが異色の「スポーツクラス」 私の通っていた高校は、全国屈指のスポーツ強豪校として知られ

    元チア部の私が思い出す「彼氏が甲子園球児だった青春時代」 スポーツの強さは“社会との断絶”と引き換えなのか?(小泉なつみ)
    imakita_corp
    imakita_corp 2021/08/28
    ネット受けする流行りの反部活的な流れに乗ろうとしてるのは分かったが結局何を言いたいんだ?
  • MotoGP史に今も輝く加藤大治郎。ロッシをも恐れさせた永遠の天才。(遠藤智)

    雑誌『Sports Graphic Number』が創刊40周年、通算1000号を迎えました。記念すべき1000号の特集テーマは「ナンバー1の条件」。NumberWebではこの特集を記念して、「私のナンバー1」という特集記事を配信することにいたしました。今回は、MotoGPフォトジャーナリストの遠藤智氏が綴る、ナンバー1ライダー加藤大治郎の記憶です。 2003年4月6日、鈴鹿サーキットで行われたロードレース世界選手権・第1戦日GPの決勝レースで、優勝候補のひとりだった加藤大治郎がスタートから3周目、最終コーナーの入口で激しく転倒した。医務室に運ばれたが危篤状態となり三重県立総合医療センターにヘリコプターで緊急搬送された。しかし、2週間後の4月20日、収容先の病院で亡くなった。 あれから17年の歳月が過ぎた。 時間の経つのは当に速いが、17年が経ったいまも、彼を超える日人選手は出てこな

    MotoGP史に今も輝く加藤大治郎。ロッシをも恐れさせた永遠の天才。(遠藤智)
  • 外国人記者が最後に語った“東京五輪の本音”「セブンイレブンは最高」「あの菓子パンが美味しかった」「シブヤが暗くて驚いた」(近藤奈香)

    閉幕した東京五輪。来日した外国人記者・カメラマンらに、大会の終わりに“音”を聞いた。彼らが話してくれた「コンビニ愛」、「交通のもどかしさ」そして「日人のホスピタリティ」とは――。 「オリンピックの取材を10回、12回、14回と重ねてきたベテランカメラマンであっても、今回に限っては一歩ずつ、様子を見ながら前に進むしかない」(ジョー・マクナリー氏、アメリカ人カメラマン)。地元から「望まれない」なかでの来日、到着後の自主隔離、猛暑……とアスリートのみならず、取材陣にとっても異例尽くしのオリンピックだった。 来日した取材陣のルーティンは「まず3日間の隔離生活を送った後、『オリンピック・バブル方式』に移行する、というものだった。(五輪関係者を外部と遮断するため)指定された宿に泊まり、専用シャトルバスで競技会場へ移動し、競技が終わると再びシャトルバスに乗り込み宿へ帰るというもの」(同前)。 もちろ

    外国人記者が最後に語った“東京五輪の本音”「セブンイレブンは最高」「あの菓子パンが美味しかった」「シブヤが暗くて驚いた」(近藤奈香)
  • 「戦友ですね」野中生萌(24)と野口啓代(32)を強くした“年の差でもリスペクト”のライバル関係《スポーツクライミング銀・銅メダル》(津金壱郎)

    スポーツクライミング女子複合決勝のハイライトは、銀メダルの野中生萌と銅メダルの野口啓代が、メダル獲得が確定した瞬間に見せた涙の抱擁だった。両選手が揃ってミッションを達成できた喜びと、特大の重圧から解放された安堵感に包まれていた。 競技後に野口は「生萌ちゃんとは長く一緒に頑張ってきて、ふたりで金銀がよかったんですけど、一緒に表彰台に上がれてよかった」と胸をなでおろした。 野中も「啓代ちゃんとメダルが取れてよかった。ふたりで一緒にメダルを取りたいとずっと思っていて、それが実現してうれしいの一言。諦めずにすべてを乗り越えてきてよかった」と喜んだ。

    「戦友ですね」野中生萌(24)と野口啓代(32)を強くした“年の差でもリスペクト”のライバル関係《スポーツクライミング銀・銅メダル》(津金壱郎)
  • 両親は反対「スケボーをやめて」…宮崎生まれの13歳スカイ・ブラウンが東京五輪でメダリストになるまで〈パリ五輪はサーフィンで〉(梶谷雅文)

    来ライバル同士であるはずの出場スケーターたちがお互いの健闘を称え合う姿に感動したという声が相次いだ女子パーク。そんなシスターフッドあふれる話題の種目でイギリスの最年少オリンピアンとして銅メダルに輝いたのが、13歳のスカイ・ブラウンだ。 多才すぎる13歳「ダンス大会で優勝」「サーフィンも」 イギリス人の父親と日人の母親のもとに宮崎県で誕生したスカイは、物心がついた3歳頃にスケートボードを始め、現在はアメリカ・カリフォルニアを拠点に活動している。 弟のオーシャンとスケートボードやサーフィン三昧の毎日を送り、ふたりの日常を切り取ったYouTubeチャンネル「Sky & Ocean」の登録者数は29万人超え(8月6日現在)。2018年には米テレビ番組のダンスコンテストで優勝したこともあるという多才ぶりだ。そして時代の寵児としてメディアに引っ張りだこの彼女はローティーンであるにもかかわらず、大人

    両親は反対「スケボーをやめて」…宮崎生まれの13歳スカイ・ブラウンが東京五輪でメダリストになるまで〈パリ五輪はサーフィンで〉(梶谷雅文)
    imakita_corp
    imakita_corp 2021/08/08
    デヴォン青木っぽい
  • 独走しても「もう10~15秒速く走れないと世界と戦えない」… 田中希実が元選手の父親と歩んだ道〈1500m日本新〉(松原孝臣)

    東京五輪・陸上女子1500m、田中希実は予選で4分2秒33の日新記録をマークして準決勝進出を果たしました。彼女の成長を追った記事を再公開します!(初公開:2020年8月30日) 陸上のトラック中距離800m、1500m。そして3000m以上の長距離においても、近年日女子の躍進が目立つようになった。 その中心にいるのが、田中希実だ。 7月に4日間にわたり、北海道各地を転戦したホクレン・ディスタンスチャレンジ。7月4日に行われた士別大会の1500mで、4分08秒68と日歴代2位の好記録をマークする。 すると7月8日の深川大会では3000mに出場、8分41秒35の日新をマークしたのだ。従来の記録は福士加代子が2002年に出した8分44秒40。実に18年ぶりの、しかも大幅な更新だった。 シューズが使用できず「頭が真っ白な状態」に。 勢いは止まらない。7月12日には地元の兵庫選手権800mで

    独走しても「もう10~15秒速く走れないと世界と戦えない」… 田中希実が元選手の父親と歩んだ道〈1500m日本新〉(松原孝臣)
    imakita_corp
    imakita_corp 2021/08/04
    2020年8月30日
  • 「クズ」「インチキ野郎」「日本から出ていけ」 “誹謗中傷”をぶつけられたアスリートへ「気にしないようにすればいい」という無責任さ(松原孝臣)

    東京五輪では、競技とはまた別のところで、スポーツの、いやスポーツにとどまらず社会全体にもかかわるテーマや課題が生まれた。その1つに、SNSなどの誹謗・中傷の問題がある。これまでの大会にはなかったほど、ニュースとしても大きく伝えられている。

    「クズ」「インチキ野郎」「日本から出ていけ」 “誹謗中傷”をぶつけられたアスリートへ「気にしないようにすればいい」という無責任さ(松原孝臣)
  • 登山靴で蹴り、“精神棒”で腹をえぐる…56年前の「農大ワンゲル部死のシゴキ事件」はなぜ起きてしまったのか(中小路徹)

    東京オリンピック開催が迫る中、日スポーツ界の体質を再考する意味で、ある昭和の事件を振り返ってみたい。1965年(昭和40年)に起きた東京農大ワンダーフォーゲル部の「死のシゴキ事件」だ。上級生や監督による暴力が繰り広げられた3泊4日の山岳縦走の末、新入生1人が亡くなった。 前年の1964年東京オリンピックで金16、銀5、銅8のメダルラッシュを遂げ、肯定的に叫ばれた「根性主義」がはき違えられた結果、という見立てが当時からあった。その質的な問題は、部活動をはじめとする現代のスポーツ界にもなお通底していて、拭いきれていないのではないか。 当時の新聞報道などから、事件のあらましを再現してみたい。 緊急搬送された学生の「異様な傷跡」 腕や背中一面への擦り傷。特に背中には、直径20センチほどのえぐられたような傷痕。両足の太ももも紫色に腫れ上がっている。そして、眉間から鼻にかけての打撲傷。 入院した大

    登山靴で蹴り、“精神棒”で腹をえぐる…56年前の「農大ワンゲル部死のシゴキ事件」はなぜ起きてしまったのか(中小路徹)
  • 登山靴で蹴り、“精神棒”で腹をえぐる…56年前の「農大ワンゲル部死のシゴキ事件」はなぜ起きてしまったのか(中小路徹)

    東京オリンピック開催が迫る中、日スポーツ界の体質を再考する意味で、ある昭和の事件を振り返ってみたい。1965年(昭和40年)に起きた東京農大ワンダーフォーゲル部の「死のシゴキ事件」だ。上級生や監督による暴力が繰り広げられた3泊4日の山岳縦走の末、新入生1人が亡くなった。 前年の1964年東京オリンピックで金16、銀5、銅8のメダルラッシュを遂げ、肯定的に叫ばれた「根性主義」がはき違えられた結果、という見立てが当時からあった。その質的な問題は、部活動をはじめとする現代のスポーツ界にもなお通底していて、拭いきれていないのではないか。 当時の新聞報道などから、事件のあらましを再現してみたい。 緊急搬送された学生の「異様な傷跡」 腕や背中一面への擦り傷。特に背中には、直径20センチほどのえぐられたような傷痕。両足の太ももも紫色に腫れ上がっている。そして、眉間から鼻にかけての打撲傷。 入院した大

    登山靴で蹴り、“精神棒”で腹をえぐる…56年前の「農大ワンゲル部死のシゴキ事件」はなぜ起きてしまったのか(中小路徹)
  • 日本人選手“10代メジャー直行”の賛否…結城海斗19歳の“解雇”で考える 菊池雄星は「高校生がマイナーに飛び込むのは大変」(氏原英明)

    人史上最年少でMLB球団のKCロイヤルズと契約していた結城海斗が自由契約となった。 日の高校へ進学せずに海を渡った右腕には注目が集まったが、厳しい結果となった。このコラムでも彼の挑戦を応援していただけに、残念というしかない。 過去に、菊池雄星(マリナーズ)や大谷翔平(エンゼルス)が高校を卒業してのメジャー挑戦を目指した際には世間から「成功するはずがない」と否定論が渦巻いたが、若くしてのメジャー挑戦はこれまでどおり日のプロ野球を経てからというのが定石なのだろうか。 とは言え、海外FA権までの取得年数が9年と長く、1年でも早くメジャーに挑戦したい選手からすれば、かなり重大な選択を迫られるだろう。大谷のように割と早い段階で球団からの容認がもらえればいいが、選手によって、9年近くを待たされるのは長い。 個人的には、挑戦したい意欲があるのであれば、年齢には関係なく、早い段階から海を渡るべきで

    日本人選手“10代メジャー直行”の賛否…結城海斗19歳の“解雇”で考える 菊池雄星は「高校生がマイナーに飛び込むのは大変」(氏原英明)
  • 26歳“現役ランナー”卜部蘭が語る、性的画像の難しさ「鍛えられた肉体美は“知ってもらうきっかけ”にもなる」(佐藤俊)

    そのひとつが、産後のアスリートの復帰だ。 「これは日だけに限らず、世界的に見てもそうなんですが、出産を経て、競技を続ける人の数が非常に少ないんです」 そう言われてみると確かに女性アスリートの場合、妊娠して、出産し、子育てに入ると、もう競技者としては“上がり”のような風潮がある。 「ほんと、そうなんです。日で女性の社会進出が改めて問われている中で、アスリートが育児を挟んで復活するために、もっとサポートできる環境が生まれて、理解が広がっていけば、陸上に限らず、産後も競技を続けたい人、戻りたい人がけっこう出てくると思うんです」 「いろんな人の思いがあって生まれた1枚だと思うんです」 そう願うなかで、卜部には最近、忘れられない印象的なシーンがあったという。 「寺田(明日香)さんが織田記念で日記録(100mハードル)を出した時、娘さんとタイム表示板の前で写真を撮られていたのがすごく素敵だなって

    26歳“現役ランナー”卜部蘭が語る、性的画像の難しさ「鍛えられた肉体美は“知ってもらうきっかけ”にもなる」(佐藤俊)
  • ノムさん「プロに誘ってすまなかったな…」あれから20年、阪神・F1セブンの元メンバーが明かす“野村監督とのその後”(長谷川晶一)

    その瞬間、スタジオ内は爆笑に包まれ、赤星以外の6選手の顔写真が、一瞬にしてカラーからモノクロへと変わっていく――。2020(令和2)年4月23日オンエアのテレビ朝日系『アメトーーク!』の一場面だ。この日は、「ありがとうノムさん芸人」と題して、野村克也追悼企画が放送されていた。この放送から1年以上が経過した今、番組内でも紹介された高波が苦笑いを浮かべる。 「僕と赤星だけが5秒台で、あとは6秒フラット前後だった」 「今でもF1セブンを取り上げていただけるのはありがたいし、嬉しいですよ。野村さんが亡くなられて、『アメトーーク!』でも紹介されました。陣内さんにはディスられたけど、僕らも速かったんですよ。確かに赤星は頭抜けていたし、誰も彼には勝てなかったけど、赤星だけカラーで、僕らを白黒写真にすることはないのにね(苦笑)」 01年春のキャンプで突然誕生した「F1セブン」は、その年のオフ、野村の退陣と

    ノムさん「プロに誘ってすまなかったな…」あれから20年、阪神・F1セブンの元メンバーが明かす“野村監督とのその後”(長谷川晶一)
  • 高校女子野球の甲子園開催を「正面から反対したのは私です」 25年前、高野連が下した「女子大会の開催は時期尚早」という判断(飯沼素子)

    たくさんの人たちが願っていた「高校女子野球の決勝を甲子園で」が、2021年8月、第103回夏の甲子園大会休養日に実現する(22日を予定)。長く女子の野球に冷淡だった日高野連は、なぜこのタイミングで「女子も甲子園」を許可したのか。そしてこれからの課題は。 全国高等学校女子硬式野球連盟(以下女子高野連)と日高野連(以下高野連)との交流の歴史、および関係者への取材から、その真相を探った(全3回の1回目/#2、#3へ続く)。

    高校女子野球の甲子園開催を「正面から反対したのは私です」 25年前、高野連が下した「女子大会の開催は時期尚早」という判断(飯沼素子)
  • 令和の部活事情「帰宅部が1番人気って本当?」「部活でサッカーやるのはカッコ悪い」イマドキ中学生の本音(沼澤典史)

    中高生に人気の部活が大きく変わり始めている。正確には部活に入らない=「帰宅部」が当たり前になっているという。現役教師の方々に取材し、その背景に迫った(全2回/後編へ)。 野球の「甲子園」、サッカーの「国立」、ラグビーの「花園」……。部活動の大会は多くの人々の関心を呼び、学生が毎年生み出すドラマに全国が熱狂する。 それはなにも、こうした「メジャー」なスポーツの部活だけではなく、マイナーなスポーツの部活にも、それぞれのドラマがあり、生徒や顧問、保護者らが一体となって学生時代の青春の1ページを形作っている。学生の分は勉強とはいえ、「文武両道」を校訓とする学校も多数あり、教育理念の面でも学校生活と部活は不可分と考えられていることもまた事実だ。 しかし、近年では厳しすぎる指導に対して「ブラック部活」や「パワハラ」などの言葉が叫ばれ、生徒の側が部活を見る目は、学校側のそれとは大きく異なってきているよ

    令和の部活事情「帰宅部が1番人気って本当?」「部活でサッカーやるのはカッコ悪い」イマドキ中学生の本音(沼澤典史)
  • 「五輪選考会の標準記録も可能」NFL屈指の俊足選手が100m走に挑戦 “ボルトより速い〇〇選手”論に終止符?(及川彩子)

    だけではなく、世界中で、サッカー、アメフト、野球選手のスピードがこんな風に紹介されることがある。俊足ぶりを表現したいのは分かるが、数字、記録を争う世界にいる陸上選手や関係者にとっては、見過ごせない内容だ。 ボルトよりも速い選手が他スポーツにいる? 50m走のタイムは手動で、選手自身のタイミングでスタートしていることが多いし、サッカー選手のプレー時の最高時速を単純に100mに換算されても、あくまでも仮説なのでボルトを超えたことにはならない。俊足の選手は、確かにその競技では突出したスピードを持っていることはまちがいない。だがボルトよりも速い、50mで日記録を超えるなどの表現は、陸上選手に対して敬意がないように感じる。 もちろん当該選手には非がなく、キャッチーな見出しをつけたり、正確性に欠ける数字をそのまま伝えているメディアに問題があるのだが、多くのスポーツファンはこう思っていたのではない

    「五輪選考会の標準記録も可能」NFL屈指の俊足選手が100m走に挑戦 “ボルトより速い〇〇選手”論に終止符?(及川彩子)