大磯照ケ崎海水浴場のにぎわいを伝える浮世絵「祷龍館(とうりゅうかん)繁栄之図」。高名な歌舞伎役者らが励む様子を描き、集客を図った(神奈川県大磯町郷土資料館提供) 1885(明治18)年、医師・松本順の指導で、神奈川県の大磯照ケ崎海岸に本格的な海水浴場がつくられた。なぜ医師なのか。当時の海水浴は「ウミミズユアミ」と読み、病気などの治療が目的だったからだ。初期は「潮湯治」や「海水湯治」とも呼ばれた。 「海水浴と日本人」の著書がある日本大学理工学部の畔柳(くろやなぎ)昭雄特任教授(65)=海洋建築工学=によると、海水に体を浸して波の圧力を受け、きれいな空気を吸って強い日差しを浴びることで、心身の健康増進を図った。 海水浴場の条件は、波が激しく、潮の干満が大きいことなどが求められた。海中には、体が流されないようにつかまるくいが何本も打ち込まれた。往時の繁栄を伝える写真や浮世絵は、なかなかにシュール