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国民国家に関するimaokazukiのブックマーク (3)

  • なぜ国家は必要とされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    第三の波平 グローバルな資主義の展開というのはますます拡大していて、たとえば昨年ベストセラーになったトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』(日経済新聞社)でも出ていましたが、アメリカ人とインド人が直接に賃金競争を行うような場合が出てきている。そのとき、労賃の競争そのものが国境を越えているのであれば、実は再分配をアメリカの中とかインドの中だけでやってもしようがない。そうするといずれにせよ、ネイションの範囲内での共感可能性をもとにして、国民国家の中で富の再分配をいくら整えてもどうしようもないという事態が早晩やってくると思います。(東) 大澤真幸vs東浩紀 『ナショナリズムとゲーム的リアリズム第2回』 http://shop.kodansha.jp/bc/mailmagazine/backnumber/gendai_01.html この話はとても東らしいのだけど、ネグリの帝国論と同じ

    なぜ国家は必要とされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 国家と共同幻想と法と一般意志 - finalventの日記

    ま、たいしたこと書くわけでもないが。メモ。 吉的にいえば、共同幻想というのは発生してしまうもの。宗教と同じ。そしてそれが国家ということで、国家というのは宗教と同じと言ってよいことになる。 他方、いわゆる西洋的な民主主義の考えでは、国家は国民から貸借関係的に疎外されるのだが、それは結果論というか後付的な説明なのか? 国家の機能は一つには、社会から個人=市民を守ること。というか、個人=市民は国家がなければ社会に抹殺されかねない。その個人=市民というのは、むしろ、国家と共時的に発生しているとしかいえない。 超国家において市民は比喩以上には成立しない。つまり、世界市民的な概念は成立していない。その希求があるにせよ、国家から超国家への移行はその統合なり基盤としてはできていない。 逆の方向からいえば、超越的な正義、というものは成立しづらい。 ただ、国家の機能は、その内部の国民=市民からは、正義の希求

    国家と共同幻想と法と一般意志 - finalventの日記
  • コメ欄: 極東ブログ: 国民による国民のための国民の政府

    明け方ぼんやりしていていて、ふと、"government of the people, by the people, for the people"の定訳、「人民の人民による人民のための政治」(参照)が誤訳なんじゃないか。なんで「人民」なんだ?と思った。the peopleは、単純な話、「国民」でしょ。 日だと、日国があって、国民がいて、政府がある。で、この、"government of the people, by the people, for the people"というのは、政府というもの性質が、"of the people"国民に所属する、"by the people"国民が運営する(たぶん委託する)、"for the people"受益者は国民である、ということなんじゃないか。 もう随分前になるが、「極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風」(参照)を書いたことがあるのだが

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