高速欲望 - なぜお金はすべてなのか 純粋贈与と、贈与と、交換 このような散財による贈与は、神=超越的な他者への返礼であり、負債感の解消である。これは迷信のようなものであるだけでなく、経済的な行為である。 これを読んだ読者は、「難解なのでよく分からないが、何か重要なことを言わんとしている」という感想を持つかもしれない。しかし実際は、間違いが多く、無内容なことを無意味に難しく書いた無価値な文章である。意外に思うかもしれないので、解説していこう。 マルクスは等価交換を「暗闇への飛躍」と呼んだように、交換は奇跡的な行為である。 マルクスは「命がけの跳躍*1」をすると言っている。それをおそらく孫引きして読んだので、クリプキの「暗闇での跳躍」辺りと混同したのだろう*2。しかし、これ位の通俗的誤解は、ネットではよくあることで、まだましな方なのである。ここからが本当の地獄だ。 商品を売る人は売ってもらう