今回は「完成欲求」、物語がきちんと始まって終わって完成すると気分がいい、という現象を利用した演出手法について分析する。 1)普通に話がきちんと終わると気分がいい どんなストーリーでも持っている面白さ。逆に言うと「連載途中で打ち切りになった漫画は読んでて悔しい」とか。普通に誰でも感じている感覚だと思うので深く説明はしない。 2)伏線の面白さ たとえば、主人公のライバルが登場してそのエピソードなどが紹介されたあとに主人公と対決して決着がつくと気分がいい。逆に、ライバルが登場したはずなのに結局ライバルとの対決は何もなしでそのまま話が終わってしまう(某有名バスケ漫画のように)と、不満が残る。 伏線には2種類あって <1>由来がすぐにわかる伏線 <2>由来が不明な伏線 がある。<1>については例を説明したので<2>について説明すると、いわゆる「推理小説」の伏線というのは<2>のものが大半である。情報
本当はエンゼル・ギアセッションの反省を書こうかと思ったのですが、 それは、海鴎@DDさんからいただいた コメントに集約されている気がしたので、 少し違うことを書こうと思います。 一応、昨日書いたセッションの話も大きく関わってきますので、 気になる方はこちらから。 今回は、TRPGのシナリオと、 他の漫画や劇のシナリオはだいぶ異なるという ある意味では当たり前の話をしたいと思います。 お付き合いくださる方は、続きをどうぞ。 さて、突然ですが、 今回のエンゼル・ギアのシナリオ作成には協力者がいます。 うちの妹です。 妹は漫画やイラストを描くのが大好きです。 そんな妹には、今回に限らず、 シナリオに詰まったときにいつも救いを求めます。 今回も、一日二本のシナリオに頭を悩ませ、妹に相談しました。 その時、決まっていた項目は、 圭一が主人公である。 黒江が来る前の過去話で、圭一の前のパートナー(壱与
ゆきさんのブログでTRPGのシナリオについて触れられていたので少し自分のシナリオ方法論について書いてみたいと思います。 最近プレイレポートばっかりで、理屈っぽい考えさせる内容は皆無でしたからね………今回はシステム的な面はひとまず置いて、自分が「シナリオの筋というものをいかに考えているか」です。 自分は現在、文芸サークルに所属して物語メディアに対するこだわりは非常に強いです。 小学校の頃から文学少年でしたし(カミングアウトするとJ.D.サリンジャーの信奉者です、ちょっと恥ずかしいですけど)、映画も大好きでさっきまで「ノッティングヒルの恋人」を、昨日は「時計仕掛けのオレンジ」を鑑賞していました。 ですが、正直な話、自分はストーリーというものは必ずしも必要なものではないと考えています。 いえ、それ以上に自分は「人間にはそもそもストーリーを楽しむほどの知的能力はないのではないか?」とすら疑っていま
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