ブックマーク / tgiw.info (8)

  • ボードゲームサークルのマナー – Table Games in the World

    不特定多数の人が集まるオープンのボードゲームサークルにおいて、知らず知らずのうちに他人を不快にさせているのではないかと心配する方が多いようなので、自分用のチェックリストとしてまとめてみた。 こういったことは(サークルで明文化されていない限り)「ルール」ではない。サークルによって状況はかなり異なるので、TPOに合わせて適当に気になったものを拾って、自分個人の問題として心がけるためのヒント程度に捉えて頂ければ幸いである。したがって、これをもとにして他人に注意するようなことも意ではない。他人のマナー違反をどう解消・許容していくかは別問題で、ちょうどてらしまさんが考察されているのでご覧ください。 マナーの質は「他者を気遣う」ということ ・マナーを押し付けたり、守らないからといってその人間の全人格を否定したりしない ・サークルのルール(持ち込み、TCGTRPGのプレイ、子供の参加、飲、喫煙、

    ボードゲームサークルのマナー – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2011/06/12
    全般:マナーの御話
  • N個の質問 – Table Games in the World

    「消費に淫することの是非、ほか、N個の質問」への私の回答。 みなさんも答えてみてはいかが。 新作追っかけの是非 新作追っかけは、必要である。ボードゲームは、年々進化している。90年代以前のゲームが、今ではバランスの粗が目立つのは、作り手と遊び手が緊張感ある関係を保ち、その中でボードゲームが発展してきたことを示している。このような史観に立つと、新作を追いかけるユーザーがいること(もちろん全員が追いかける必要はない)は、デザイナーやメーカーがモチベーションを高め、よりよいボードゲームを生み出すために必要である。 ネットに攻略情報を書くことの是非 攻略情報は遠慮なく書いてかまわない。ボードゲームは、ほかのプレイヤーの選択肢に勝敗が大きく委ねられることが多いため、必勝法や定石に見えてもそうでないことが多い。また、実際に必勝法があるとしても、プレイヤーはコンピュータではないから、常に必勝法を取るとは

    N個の質問 – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2009/08/22
    全般:消費に淫する話題への回答
  • どういうゲームかより、どうやって遊んだか – Table Games in the World

    ゲーム紹介にはいろいろな書き方がありそうだが、私の場合は、どういうゲームかということより、どうやって遊んだかということ(プレイレポートやリプレイ)に注目して読んでいる。 私が好きなレビューサイトはいくつかあるが、それらに共通することは、ゲーム中に実際起こった「笑い」が伝わってくるという点である。「笑い」が起こるポイントをしっかり書いてもらえれば、ゲームの内容は説明しなくても何となく分かる。当サイトでは思考の軌跡やシステムへの感心がメインになりがちなので「笑い」をもっと取り入れたいと思う。 ボードゲームの大きな特徴として、遊ぶ人によって楽しさが全く変わるということがある。それゆえに個別のプレイで評価を書くのは、誤解や違和感のもとになるかもしれない。でも、だからこそ、楽しかったというサンプルがよそから手に入るのは大事なことであるともいえるだろう。 1度遊んで面白くなかったゲームが、よそのレポー

    どういうゲームかより、どうやって遊んだか – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2009/03/14
    サイト論:ゲーム紹介の仕方について
  • 『ゲーム探検隊』-改訂新版- – Table Games in the World

    書苑新社から89年に発売された幻のゲーム研究書が、このたびグランペールから復刊された。アナログゲームの面白さを幅広い視点でアプローチした読み応えのあるである。 第1章「ルールとは何か」では、ルールのあり方からゲームの特徴を描き出す。古いゲームなどで正しいルールが判然としない場合の決定方法として現地主義(実際にやっている人が正しい)、合理主義(整合性があるほうが正しい)、功利主義(面白ければOK)、文献主義(記述に忠実に)の4つが紹介されていて、ルール解釈に迷ったときなど有用である。 第2章「ゲームの楽しみを探る四つの味わい」ではゲームの面白さを思考・偶然・交渉・体験という4つの要素から分析し、それぞれの典型的なゲームを例示する。簡潔にして的を射た分析で、実際この4つの組み合わせで、ボードゲームの楽しみはほぼ網羅されるといってよい。 第3章「ゲームの分類学」では、アナログゲームの系統的な分

    『ゲーム探検隊』-改訂新版- – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2007/05/07
    全般:グランペールから復刊された幻のゲーム研究書の紹介
  • ゲームに点数?(1) – Table Games in the World

    ドイツ年間ゲーム大賞のホームページに掲載されたコラム「ゲームに点数?」を訳出。 − ボードゲームやカードゲームに点数をつけるのは、日刊紙、雑誌、専門誌など(ほとんど)至るところに見られます。トム・フェルバー(年間ゲーム大賞審査員メンバー・ニューチューリッヒ新聞編集)は、自分の評論で意識的に点数をつけないようにしています。なぜそうするのでしょうか。 − ボードゲームの点数は、批判的に考えるならばまじめに取り上げることはできない。私にとってゲーム批評家はれっきとした仕事なので、私はボードゲームに点数をつけるのを許せない。 チューリヒにあるどこかのボードゲームショップで新しいゲームを買いたい人は、「このゲームは面白いですか」などという質問を決してするべきではない。答えはだいたいこんな感じだろう。「ボードゲームが面白いかですって? 気でそう思ってるんですか? ちゃんとゲームをよく見てくださいよ。

    ゲームに点数?(1) – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2007/04/07
    全般:ドイツ年間ゲーム大賞のホームページに掲載されたコラム「ゲームに点数?」の訳。その一
  • ゲームに点数?(2) – Table Games in the World

    どんな方法論か? ゲーム評論家がゲームに点数をつけるまで、どのようなプロセスになるだろうか? どんな方法を使うのだろうか? 点数を決めるプロセスを考えていくと、不十分で不透明で、役に立たない方法論に行き着くものである。 ゲームの点数は評論家の「感覚」に基づいており、娯楽程度であって、単なる大衆迎合に過ぎない。というのもさまざまなアプローチが、端的な標語(点数)に置き換えられ、感情を引き起こすからである。点数は、点数では表せないものまで、まるであるかのように信じ込ませてしまう。 驚くべきことに、いつも点数をつけているゲーム評論家と個人的に話をしてみると、点数をつけることには否定的な見方をしているけれども、消費者の期待に応えているのだという人が多い。学校やジャンプ競技ではきちんと定められたそれぞれのパフォーマンスが点数で評価される。そこで同じくらいのパフォーマンスの点数が変わりすぎたら、点数を

    ゲームに点数?(2) – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2007/04/07
    全般:ドイツ年間ゲーム大賞のホームページに掲載されたコラム「ゲームに点数?」の訳。その二
  • ゲームに点数?(3) – Table Games in the World

    映画サッカー それではいったい、主観的な経験の質とは何だろう。例えば、映画館である映画にえらく感情を揺すぶられた。そのため気分が高揚してしまい、帰り道も分からないくらいになって、午前2時まで街の中をぶらついていた。ところが半年後、同じ映画をもう一度見たけれど、退屈で居眠りしてしまったなんてことがある。 ゲーム映画と比べるのがちぐはぐなことはもちろんである。映画のストーリーは、主観的な経験のもとになる外的な出来事であり、いつも変わらない。一方、ゲームのストーリーはいつも変わり、外的な条件は一緒に遊ぶ人の性格と人数によって極端に変わる。「ゲームの魅力」を4点にしたゲームが、別の日に遊んだら9点になるかもしれない。残念ながら、私の場合どうしてもそうだ。 点数をつけることについて正直に答えるならば、こう言わざるを得ない。一緒に遊ぶ人の雰囲気、性格、期待、人数によってゲームは、(10点満点中)

    ゲームに点数?(3) – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2007/04/07
    全般:ドイツ年間ゲーム大賞のホームページに掲載されたコラム「ゲームに点数?」の訳。その三
  • ゲームに点数?(4) – Table Games in the World

    主観は正直なもの さらに、私がゲームデザイナーだったら、点数で批評されてどう返したらよいのか? 意見ならば異議を唱えたり議論したりでき、少なくとも理屈は分かる。ところが点数は一様で、絶対的なものだ。客観的なものではないのに、客観性を装ってしまう。しかしゲーム評論に客観性はない! あってはならない! ここで驚いて青ざめながら反対したい方がいるかもしれない。「でもゲーム評論家はできるだけ客観的であるべきでは……」そんな方にはこう答えたい。「それは神様のご意志ってだけさ」と。ゲームは感情的で対人間的な行為である。ゲーム評論家は客観的でなく、正直であること! だから客観的であることを主張する人は信憑性に欠ける。ゲームの魅力を判断するのは、そのゲームを遊んだ自分自身の主観的な経験に基づいているからだ。 もちろん、評論家の主観は気まぐれなものではなく、何年にもわたって蓄積されたゲーム経験と能力を枠組み

    ゲームに点数?(4) – Table Games in the World
    inouekari
    inouekari 2007/04/07
    全般:ドイツ年間ゲーム大賞のホームページに掲載されたコラム「ゲームに点数?」の訳。その四
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