2015年3月31日のブックマーク (4件)

  • 『桜の花になれなかった人のために』 - K Diary

    ※タイトル変更 novelcluster.hatenablog.jp 第0回以来、久しぶりに書いた。しんどい。突っ込みどころが満載だけど、どうぞ。 ★★★ 卯吉はめっちゃムカついていた。博多弁で言うとちかっぱい腹立っとった、といったところか。なんで、めっちゃムカつき、且つちかっぱい腹立っとったかというと、普段卯吉が読書をするために訪れていた井の頭公園が人、人、人、そして人。人しかいないような状況だったからである。たまに犬とかもいたが。卯吉は柴犬を好む。そんなことはどうでもいい。卯吉の井の頭公園、というか井の頭公園は別に卯吉のものでも何でもないのだが、卯吉は「俺の井の頭公園」だと思っているのでそう書いたのだが、それはともかく、そこは人で溢れかえっており、優雅にブックオフの100円コーナーで購入した文庫を読むような余裕が無い。いや、人で溢れかえっているだけならばまだしも、そこに集まった彼らは

    『桜の花になれなかった人のために』 - K Diary
    inujin
    inujin 2015/03/31
  • 誰かと誰かをつなぐとき、判断するのは「熱量のバランス」 - インターネットの備忘録

    ここ最近、ご紹介した人同士で「何かをやります」、というリリースが続いていて、うれしい。 微妙に長く生きているのと、人と会うのが好きだから、普通の人よりは知り合いが多いせいで「誰それさんを紹介してもらえませんか」と言われることがよくあるんだけど、もちろんお断りすることもある。 紹介してほしい、と言う人とわたしの距離(全然親しくないのにお願いごとだけグイグイしてくる人の存在マジで不思議なんですけどあれなんなんですかね)もあるし、紹介する相手とわたしとの距離もあるんだけど、基、お願いされて「よしこれなら」と思える組み合わせなら、ダメ元でおつなぎするようにしている。 もちろんつなぐことでわたしに対するメリット、「はせさんはこういう面白い人を紹介してくれる、面白い(使える)人、という実績が残る」みたいなのもあるけど、紹介するだけして、こちらは骨折り損のくたびれもうけ、みたいなことも、ままある。飲み

    誰かと誰かをつなぐとき、判断するのは「熱量のバランス」 - インターネットの備忘録
    inujin
    inujin 2015/03/31
    大きけりゃいいわけじゃないの、納得感ある
  • 岡崎京子の描いた”ガールズ”はどこへ消えたのか? - チェコ好きの日記

    どこで読んだだれの文章なのか忘れましたが、「岡崎京子の漫画に出てくる女の子っていうのは、男と恋愛するのが好きなんじゃなくて、男と恋愛した話を女同士でするのが好きなんだよね」ということをいっていた人がいて、なんて的確な岡崎京子評なんだ! と思わず感動したことがあります。 というわけで今回は、3月31日まで世田谷文学館でやっている(やっていた)岡崎京子展『戦場のガールズ・ライフ』について感想を書いていくのですが、こんな展覧会をやるくらいなので、もう岡崎京子という人の漫画家としての地位は、揺るぎないわけです。ポジティブな岡崎京子評は探せば、いくらでもどこにでもあるでしょう。なので私は今回”あえて”、ネガティブな岡崎京子評というのを書いてみるつもりです。 岡崎京子の描いた”ガールズ”はどこへ消えたのか? さて、岡崎京子の漫画に登場する女の子たちは、だれもかれもが強力なまでの”ガール”です。ここでい

    岡崎京子の描いた”ガールズ”はどこへ消えたのか? - チェコ好きの日記
    inujin
    inujin 2015/03/31
    破滅への憧れみたいなの、小さい頃から全然持ってなくて、昔からどうも日常を信頼してなかったのかもしれないとか思った
  • 無宗教が辛いのか、「自意識の終わり」が怖いのか - シロクマの屑籠

    無宗教な自分が辛い タイトルは無宗教を嘆いているが、前半パートは「自分が死んでしまった後、自分自身の有意味性が確認できなくなる不安」が優勢に感じられた。 しばしば宗教は、「死後の世界」や「輪廻転生」を説く。あるいは教理に含む。だから、死後の問題や死への恐れを和らげる“手段”として宗教を求めるのはわかるような気がするし、間違ってもいないのだろう。 でも、宗教に片足 or 両足を突っ込んでいるからといって、「死後の世界」「輪廻転生」「西方浄土」を信じられるものだろうか? 例えば私は仏教を信奉しているつもりだし、浄土真宗に親しんで育ったほうだとも思う。じゃあ、私が西方浄土を信じているかというと、そんなに信じていない。「もし、信じざるを得ない境遇に追い詰められたら」すがりつくつもりでいるけれども、普段は意識していない。輪廻についても同じ。そういう考え方があるのは知っているけれども、じゃあ、腰を入

    無宗教が辛いのか、「自意識の終わり」が怖いのか - シロクマの屑籠
    inujin
    inujin 2015/03/31
    “死後の私はそれを確かめることは出来ないけれども、とりあえず、変わりゆく世界は生き残った他者によって観測され、引き継がれ、記録されていくのだろう。それで十分”