はじめに 差別問題教育に関わると、教える側教えられる側を問わず、そこはかとないむなしさ、徒労感を感じる場面に遭遇することが多い。教育を受ける側にとっては、教師の言わんとしているところは理解できても、差別ということに対する実感は湧かないし、映画などを見た後で感想文を書けといわれても、白々しい言葉しか浮かんでこない。こんな経験を持つものが少なからずいるように思う。さらにそうした感想文をクラス全体で書いた後、授業で教師がそれなりに慎重に教えたはずの差別的な用語が、教師の意図を裏切って、他者を貶める言葉の中に加わるのを見ることすらあるのだ。 逆に教える側の立場にたったとき、平凡な教師にとってみれば、差別問題教育の場は所詮「他人事」としてしか伝えられないもどかしさ、無力感を味わわされる場になりかねない。もとよりそれは「おまえの力不足だ」「おまえが差別に真摯に向き合った経験をもたないからだ」と言われれ