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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (23)

  • 行為への欲望を擁護する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    まぁ、無理だ無理だと言いなさんな。こここそ、擁護しておかねばならんことのはず。 陵辱表現であっても、必ずしも陵辱する側に感情移入してるわけではないとか、性に対する罪悪感と性的欲望の一つの結合のあり方であるとか、陵辱表現に対する欲望は(確かに)さまざまにありうる。その意味で、陵辱表現への欲望と陵辱行為への欲望は、必ずしも重ならず、表現を欲望する人たちの姿はずっと多様。それはそう。 ただし、陵辱行為への欲望とほとんど区別つかない形で陵辱表現を欲望している人というのは、ホントにいる。そういう人はいて、じゃあ、そういう人は救いようがないのか。死んでもらうべきか。そんなことでもない。 こういう人にとって陵辱表現はどのような意味を持つか。ガス抜きになるか。なる面もあるかもしれないが、むしろ、こういう欲望を強化するような面もあるかもしれず、私見では、後者の方が強い気がする。じゃあ、表現自体にアクセスでき

    行為への欲望を擁護する - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inumash
    inumash 2009/06/15
    問題:一連の流れで“相互理解”とは最も遠い場所にいたのは誰?/「意義・有用性が語れなければ規制止む無し!」とまで言い切った最初のテンションは一体何処からきたんだろうなぁ。
  • ラディカル・フェミニズムから受け取れること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    少し違う角度から。 当たり前のことだけど、陵辱表現どころか、性表現を愛好する人の自由と、一般的な性表現に対してさえ緊張を強いられる人が安心して外を歩く自由とは、両立しない。だから、どっちかを踏みにじるしかない。絶対に。論理的に。こんなことはわかりきった話。あまり認めたくない話だから無視されるわけだけど、ここから目をそらしても始まらんよ。 id:atawi氏が「あなたが「街を歩くことにさえ緊張を強いられる人」を考えているのと同じように、反対側の悲痛な声を聞いてください。無意識に獲得して自我に根付いた肯定されない欲望と公序良俗の間で悶えている「人間」の叫びを」と書いてて、それはまったくその通り。聞いてますけど。そして、それらは両立しない。両立しないことを踏まえて、あなただったら何を言いますか? まずは、表現の自由は、他者の自由の制約の上にあるという、当たり前のことを思い出すべき。たとえば、「表

    ラディカル・フェミニズムから受け取れること - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inumash
    inumash 2009/06/15
    個単位では“両立しないもの”を両立させる仕組みが、ゾーニングやレーティングを含めたバッファとしての社会システムでしょう。それを無意味だと退けてこれでは「原理主義」と言わざるを得ないな。
  • 「レイプレイ」と表現の自由、その4 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    最初の記事の、最初の文を、提示しておきます。 女性を陵辱して言うなりにすることを目的とするゲームへの規制が主張されていることに対して、「表現の自由」の名の元に「規制まかりならぬ」などと言う輩がいるらしい。笑うべき論、と思う。 そのことと、もう一つ、「ゾーニング」論についても。今みたいな調子でゾーニングすると、やればやるだけ問題を深刻化するだけ。 【追記:一点、補足を書き足しました。】 「表現の自由」は誰のものか 準備としていくつか確認しておきます。 第一に。たとえば、個人情報に関する「表現の自由」「言論の自由」は制約を受けます。その意味で、これらの自由は、絶対的な無制限を事前に約したものではなく、個々の表現物、個々の言論について、また、その特徴によって、制約を受けるか受けないかを決めることが可能なものです。(1)現状の制限、(2)現状の制限+陵辱表現に対する制限とするとき、(1)のままでい

    「レイプレイ」と表現の自由、その4 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inumash
    inumash 2009/06/13
    ゲームの暴力性にはいたくご執心なのに、自分の言説の抑圧性・暴力性には無自覚なのね。同性愛者に自身の性的嗜好に関して申し開きせよ、と言ってるのと同じだよ。letterdustさんがコメ欄で指摘してるけど。
  • 「レイプレイ」と言論の自由、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日の記事に付け加えることはあまりないのだけど、「読み解く」のは難しいのでしょう。同じ事を別様に言うというのは嫌いじゃないので、書いておく。 僕は「愛好家・擁護者がこの程度である限りは、こんなものは規制さるべし」の述べているのだが、重要なのは前半の条件節の方。脚注でも述べているように、ここまでラディカル・フェミニズムをなぞって論を立てても、規制に100%賛成するわけではないのだ。僕は、どちらかと言えば、原則論的な「言論の自由」信奉者だ。規制には「最大限」反対。100%ではないけどね。 性も、性暴力も、暴力も、差別も、殺人も、その他どんなものであれ、表現の対象にしうる。表現したらいい。表現の内容は問題にしうる。問題にしたらいい。表現も、表現を問題にする言説も、原則としては、言論の自由という土俵の上で互いにぶつかり合うことができ、それを通じて、私たちの認識は磨かれる。それでこそ「言論の自由市場

    「レイプレイ」と言論の自由、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inumash
    inumash 2009/06/11
    他者(男女問わず)の脅威にならないポルノなど存在しない。そして歴史上“意義が認められた”ポルノなどごくわずかで、その大半は“ポルノ”という枠組みを逸脱したもの。この要請は“ポルノ”という存在の否定だよ。
  • 「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    女性を陵辱して言うなりにすることを目的とするゲームへの規制が主張されていることに対して、「表現の自由」の名の元に「規制まかりならぬ」などと言う輩がいるらしい。笑うべき論、と思う。 この件に関して、佐藤亜紀氏が6月3日付の日記で述べている次の内容は重要だと思われる。 『悪魔の詩』がそういう(注意:ムスリムは表現の自由を圧殺する、というプロパガンダの)トポスにならずに済む機会が、少なくとも一度はあった、と私は考えている――冗談みたいな話だが、在英ムスリム団体があのに冒涜罪を適用するようにと当局に訴えた瞬間がそれだ。逆説的だが、もしイギリスの法廷が、冒涜罪は国教会とその首長である女王に対する冒涜に対してのみ適用される、などという固いことを言わずにラシュディ氏を召喚していたら(かつ、表現の自由が、とか言わずに、悪意の有無を徹底して追及していたら)、ラシュディ氏はむかつきながらも西と東の狭間に立つ

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    inumash
    inumash 2009/06/11
    これはずいぶんと筋が悪い。“正しさ”“有用さ”なんてマジョリティ(権力、と言い換えてもいいかもね)の恣意性を覆い隠すために持ち出されるレトリックでしょ。それに安易に乗ってしまうなんて・・・。
  • 北朝鮮の「人工衛星」雑感 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【追記アリ】【もう一つ追記】 次の記事はとてもおもしろいので、是非参照してください。>「日北朝鮮に宣戦布告した件について」@media debugger 以下、それとは別の話をダラダラと。>するつもりだったんだけど、別の話にならなかったな。 日政府の主張は無理筋 北朝鮮がロクデモナイ国だということは知っている。日という国も、その質に多少の違いはあれども、かなりロクデモナイのも知っているけども、それはとりあえず措く。北朝鮮の「人工衛星打ち上げ」はミサイル技術の誇示以外の何物でもないとは思うが、公式に「人工衛星」と言い張っている以上、それを覆すだけの材料もないなら、「ミサイル」と言い張ることになんの益もない。そこに弾頭が取り付けられている、とでも言うならともかく。一方で、北朝鮮は宇宙条約に批准した上で、国際法上の形式を整えた上で「人工衛星打ち上げ」と言い張っている。これを「ミサイルだ」

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    inumash
    inumash 2009/03/31
    国防政策においても外交政策においてもアメリカの腰巾着に過ぎない日本は北朝鮮にとって“交渉材料”でありこそすれ“交渉相手”とはなり得ない。その辺は政府も“わかっててやってる”と、そう思いたいねぇ。
  • 村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    とりあえず、速報的に、気になることをいくつか。 とりあえずの感想 イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。 …… 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言と

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  • HALTANさんへ、二つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081031/p2 思うに、専門が云々、というような難しい話ではないです。 まず前提を、それも、一人で考えましょう 「一人一人をちゃんとみんなで守る、そういう社会をコツコツと作っておくべきだった」「この社会を壊したくない、そう思うように一人一人を大事にしておくべきだった」・・・いや、そこで「そういう社会」の具体的なイメージがどうもよく掴めないのですが・・・。 そういう「具体的イメージ」こそ、専門家に任せてくださるとよいな、と思います。僕からあなたにお願いしたいのは、「具体的イメージを書く」ことではなく、「具体的イメージを要求すること」です。そのためには、もちろん、「社会はなんのためのもの?何を目的にするの?」ということを先に決めておく必要があります。だから、HALTANさんがまずなすべきことは、「この社会はどうあるべきか」、それ

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    inumash
    inumash 2008/11/01
    真っ当な返答。これに反対するロジックは浮かばないなあ。せいぜい↓で言われてる個人評価の違いくらいしかない。
  • コドモを藁う大阪──大阪芋畑闘争 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    結構いろいろと大事な論点が詰まってますね。 今回の行政代執行の法的な問題 「異議申し立て」する権利の形骸化、ということ。そういうことを狙ってやったという意味で、大阪府の狙いは脱法そのものである、ということ。次の二つの記事を参考に。 保育園代執行で大阪府が当に鬼畜な理由: BattleRock Blog http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/55431836.html 道路計画そのものへの疑問 今年2月の報道で、次のようなものがあります。YouTubeより。「渋滞緩和にはならない」は、「でもやるんだよ」というのもわからないではないけれど、「環境対策が甘い」、「大阪府の追加負担が大きい」は、結構大問題。最後のなんて、財政再建しようとしてるんだから、橋下ならマジメに考えるべき論点のはず。元々の計画はかなりデカイ道路なので、見直して縮小する余地はある、という

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    inumash
    inumash 2008/10/18
    この視点に同意しても産経の問題点はクリアにならない。左翼相手にミスリード誘発させてる記事とやってることは同じだから。/そして、それを否定しても代執行の不当性は揺るがない。よって産経を擁護する理由はない
  • リフレ/反リフレの経済学 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    今回は、特別編です。僕の認識は「リフレは必要だが、それだけではダメである」というものです。今回は、「それだけではダメ」の部分について説明する、二つの記事をアップします。「では、何が必要か」という問題は、次回に。多分、1、2週間後くらいに書きます。*1 更新情報 2008/10/07 07:00 一部、誤解があるようですが、「反リフレの経済学」の趣旨は、「インフレは生じない」ではなく、生じるインフレの性質が異なっており、「インフレは生じても総需要は増えない」です。その点をわかりやすくするための修正を検討します。 2008/10/06 22:00 あれま、「流動性プレミアム」の意味が逆になってるみたいですね。どう修正するか、検討します。*2 2008/10/06 09:00 ブックマークが分散しがちなので、整理しておきます。 【推奨】「リフレ/反リフレの経済学」全体へのブックマーク 「リフレの

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  • だから死刑には反対する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日

    だから死刑には反対する - モジモジ君のブログ。みたいな。
    inumash
    inumash 2008/04/24
    純粋に疑問なんだけど、一体いつから「死刑の是非」が論点になったんだろう?/今回の問題の肝って「18歳」という年齢によって量刑が左右されることの是非にあって、まずそこに結論を出すのが先じゃないのかな。
  • keya1984氏への私信──沖縄戦「自決強制」関連 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「「空気」を気にする日人の精神主義的教育論@Backlash to 1984」に対して、コメントつけたら、反論されたので、返事を返す。たいした内容じゃありません。 米軍はソ連軍とは違い、投降しておれば救われた命は多かったでしょうね。しかしそれは結果論でしょう。「恐怖を煽って」と言いますが、ソ連軍は強姦も拉致も殺害も略奪もし放題だが米軍は投降すればそんなことは少ないよ…などと敗戦前にどうやって知ることができたのですか? 都市への無差別の空襲などを見るにつけ、当時の日人なら「鬼畜米英とはまことであった」と感じていたに相違ありません。 責任転嫁はやめましょう。そんな知ることができたかどうか以前に、日軍としては投降されては不都合だという状況があり(陣地構築などで住民を徴用し、機密が広く知れ渡っていたため)、そのために組織的に投降阻止することを軍の方針にしたんです。それが「軍官民共生共死の方針

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  • 「勝ち組」が「勝ち組」に向けて語る

    赤木論文は、「負け組⇒勝ち組」のメッセージ。このメッセージに対して応答するとは、二つの応答が必要だと考える。一つは「勝ち組⇒負け組」で、それが「「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する」。いろいろブックマーク・コメントをお寄せいただいてます。ありがとうございました。そこでid:kmizusawaさんも指摘しているように、これは「身も蓋もない話」だ。しかし、「負け組」とは、定義上、「奪われた人」なのだから、「負け組」に何ができるわけでもなく、「勝ち組」であるにせよ私一人に今すぐどうこうできるわけでもなく、あのように答えるしかない。しかし、その身も蓋もなさを確認することは大事な出発点である。というのも、この身も蓋もなさを確認することによって、「勝ち組である私」と「負け組」というフレームワークがそもそも間違っているのだ、ということに気づかざるをえないからだ。そこで、赤木論文への応答としては、「

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  • 「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    正直、これできちんとした応答になっているのか自信はない。ないけれども、素通りもできないので考えたことを書いてみる。赤木智弘(id:ClossOver)「「丸山眞男」をひっぱたきたい」について。 今日、飢えて死ぬ人がいる。今日、凍えて死ぬ人がいる。etc...。多少なりとも手を伸ばし、誰かの役に立つような何かをちょこちょことやってはみても、まだ全然足りない。一人の力はとても小さいから、また他人よりは自分のことの方が大事だから、できることをそれなりにやったとしても、いつでも全然足りない。だから、社会の仕組みそのものを変えようと考える。うまくいくかどうかさえ分からないのだが、しかし、仮にこれがうまくいったとしても、そのうまくいったその日までに死に行く人には間に合わない。明日、何もかもがうまくいくとしても、今日、死に行く人には間に合わない。 左派であるとは、こうした状況を変えようとする、ということ

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  • 野宿者の居住権──不法なのはどちらか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    ある人の家にいきなり893がやってきて、「こんど世界賭博ゆう大会をやることになった。お前のうちが会場になる。(おまえらがいるとジャマで目障りだから)○×日までに出て行ってくれ」という通告がある。拒否すると、真冬のある朝どやどやと893が乗り込んできて、暴力的に住人を外に追い出し、家を破壊した。 こんな事件があったなら、どう考えても(あえてこの表現を使うが)「自然な」反応は「それはひどい」になるはずだと思うのである。ところが、893が警察と市の職員、「世界賭博」が「世界陸上」に、そして、追い出される人が「ホームレス」である、ということになると「しょうがない」が「自然」な反応である……? 当にそうだろうか? もちろん、これは、今朝あった大阪長居公園での野宿者強制排除のことである。*1 あーはいはいそれはひどい893ですねワロスワロス。しかし公園は家ではありませんよね? http://d.ha

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  • 長居公園、行政代執行 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日は風邪気味で、熱こそ出てないもののずっと調子が悪く、今日は無理かもしれないと思いつつ、ビタミンCをボリボリべてから床に就いた。朝起きたら思いの他よくなっていた。起きたのが少し遅かったので間に合わないかもとも思ったが、出かけることにする。9時ちょっと前に長居公園に到着。既に周囲はバリケードで囲まれていて、警備員が取り囲んでいる。人だかりもできている。以後、12時頃、テント村が完全撤去されるまでの一部始終をずっと見ていた。事の経緯などは「釜パトブログ」などを見てほしい。 【追記】 また、今回の行政代執行にあたり、野宿者と支援者たちが取った行動、その意味などについては、Arisanのノートを読んで欲しい。付け加えるべきことはほとんどない。 野宿者はわがままだ、という声もある。物を知らない人は簡単にこういうことを言う。その人が怠慢だから、ということもあるのだろうが、同時に、行政が不誠実な(ほ

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  • 「核武装、議論すべき」発言はどこまでマトモか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    中川政調会長発言、および麻生外務大臣の擁護っぽい発言の両方を斬っておく。補選もあることだし、少し急いでみた。昨日の国会Watchエントリも踏まえて*1。 核武装論の非合理性 憲法でも核保有は禁止されていない。核があることで攻められる可能性が低くなる。やればやりかえすという論理はありえる。当然議論があってもいい。 核武装の可能性を考える上で第一に基的なことは、核武装カードと非核カードのどちらが外交戦略上有効であるか、という視点である。 核兵器を持つことがどの程度有意味であるのかを考えてみよう。目的は敵の破壊ではなく、防衛であり、無力化できさえすればいい。対北朝鮮で考えるならば、核を使うくらいならば、ミサイル基地を強襲する先制攻撃を考える方が遥かに現実的。もちろん、先制攻撃論にも反対だが、それでも核武装論の出てくる余地は皆無であることは示せる。このことだけでも中川が思いつき*2を口にしている

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  • 国旗・国歌なんぞ、私事でやれよ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    石原都知事が都議会で咆えているようです。つまり、地裁でどんな判決が出ようとも、一切の処分を撤回はおろか保留さえせず、一切の説明において以前と同じものを繰りかえし、判決について内容に踏み込んだ反論は一切しない、ということです。地裁って何のためにあるんでしょうね???愚弄される裁判所。愚弄される都議会。以下に9月26日都議会の議事録より関連部分だけ抜き出してあります。 【曽根はじめ議員】 九月二十一日、東京地方裁判所において、都教委が出した通達と命令で卒業式や入学式などで日の丸に向かって起立し、君が代を歌う義務はないこと、起立、斉唱などをしないことを理由にいかなる処分もしてはならないという画期的な判決が出ました。 判決は、日の丸・君が代強制問題についての都側のいい分をことごとく退けています。 第一が、強制が憲法に違反するという指摘です。都教委の通達は、起立、斉唱などの行動を命じたのであって、内

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  • 倫理のダイナミクス - モジモジ君のブログ。みたいな。

    id:inumashさんへのコメント。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/inumash/20060330#1143693234より。 「いじめ、カッコワルイ。」ではなくて、id:mojimojiさんの言う事も分かるんだが、彼の理想とする「正しい社会」が実現されたとして、あんまし楽しそうじゃないなぁ、と思ってしまう。 問題なのは倫理が徹底されていない事ではなく、倫理を破る快楽そのものが既に認知されてしまっていることで、そういう人達にいくら倫理の正当性を主張したところで何の意味がないんだよね。 これは後日また書くと思うけど、いじめや差別のような問題に法だけで対処して十分ではないし、法だけで対処しなければならないわけでもない。十分ではない、というのは男女雇用機会均等法などが存在する現在の状況を考えてみればいい。 他方、倫理の正当性を主張することだけで十分ではないけ

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  • 不十分さについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日に続いてid:inumashさんの別記事へのコメント。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/inumash/20060331#1143813245 より。 僕は単に「正義」や「倫理」をそれほど信用していないだけです。僕は精錬潔白な人間ではないし、悪意や負の感情を抱えている。で、それによって物事を見ること、表現する事の快楽も知っている。 それをクリアさせるのに、「倫理」や「正義」を語るだけでは不十分なのではないか、というのが僕の意見です。「悪意による快楽」に代わるインセンティブを、「倫理」や「正義」によって十分に担保することができるのでしょうか。残念ながら、僕はそうは思えないのですが。 僕はここでinumashさんが前提にしていることに反対しない。僕は正義や倫理を「それほど」信用していないし、それを語るだけで「不十分」だと思うし、悪意による快楽に代わるインセン

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