もう少し番外録を綴っておく。 今夜は高村薫だ。東北のリア王の顛末だ。 6年前の小説だが、なぜとりあげるかといえば、 高度成長期から原発設置に転じていった政界と産業界が、 いま、福島第1原発事故の前で まさに、あからさまになりつつあるからだ。 その一方、日々報道される 被災地の光景と被災者の言葉は、 その片言隻句さえドストエフスキーなのである。 ◆椀コ、南昌、東根の、氷霧あえかのまひるかな。 (宮沢賢治「岩頚列」) 東北。みちのく。アラハバキの国。 古称は陸前・陸中・陸奥・磐城・岩代である。そのうちの陸前・陸中・陸奥が三陸になる。ときに奥羽地方とも呼ばれてきた。かつて奥羽は陸奥と出羽をさしたが、いまでは東北同様に、青森・岩手・宮城・福島・秋田・山形の6県をさす。 赤坂憲雄君がここを広域の拠点にして「東北学」を立てた。東北自体の風土と記憶と民俗によって東北を語る。東北自身はたんなる“北の大地”