市民運動および市民デモの訴えの多くはほとんど意味がない。彼らが依拠するのは知性ではなく、数の論理であるからだ。集会やデモを行う市民団体が毎回のように参加者数の水増し発表をするのは、その本性を示している。 デンマークの哲学者セーレン・キルケゴール(1813~1855年)は、市民の本質を「第三者」「傍観者」と規定した。 一人の人間が情熱を傾けて、自分に与えられた使命を果たそうとするとき、また彼らが手を組むときには集団も意味をもつ。そこでは、知性と覚悟が重視される。 しかし、水平化・平等化された近代社会においては、傑出した人間は軽視され、疎まれ、引き摺(ず)り降ろされる。そこに働くのは嫉妬の原理だ。そして個人が完全に等価になった結果、価値判断の道具として多数決が導入される。そこでは頭数を揃(そろ)えることだけが求められる。 キルケゴールはこうした野蛮を批判した。 「ところが今日では、だれもが意見