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2015年7月20日のブックマーク (2件)

  • 外見的立憲主義型市民憲法としての明治憲法の限界 | Kousyoublog

    近代市民憲法は、権力の濫用を阻止し、人権の享有を確保することを課題とする。憲法という名称の法典が存在しているにもかかわらず、その課題にこたえる内容を欠いている市民憲法を「外見的立憲主義型の市民憲法」という。「外見的権利保障」は、憲法の保障で国民の権利が保障されているにもかかわらず、権力に十分に対抗できない権利の保障をいう。(注1) 十九世紀、市民革命と産業革命によって市民憲法を整え、資主義経済を浸透させた英米仏の国力は他を圧倒しつつあった。後発国としてそれを追う立場のプロイセンは革命を経ずに近代化を行う「上からの近代化」路線を取る。 「封建的土地貴族のイニシアティヴにより、封建的土地貴族と農奴の関係をそのまま資・賃労働関係に再編成し、政治的にはそれに対応する外見的立憲主義の憲法によって立憲体制の外見をほどこすという、近代化のしかたである。」(注2) そのため、可能な限り旧い原理が温存さ

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  • “世界初のアシッドハウス”はどのようにしてインドで生まれたのか?【追悼Charanjit Singh】

    “世界初のアシッドハウス”はどのようにしてインドで生まれたのか?【追悼Charanjit Singh】 “アシッドハウスの元祖”として世界的に有名なミュージシャン、チャランジット・シンが7月5日、ムンバイの自宅で亡くなった。75歳だった。詳しい死因は報道されていないけれども、就寝中に亡くなったそう。 シンの死を報じるニュースは、インド国内のメディアだけでなく、Pitchforkなど海外の主要音楽メディアでも発信されたことからも、海外での彼の知名度の高さが伺える。 1960〜80年代を中心にボリウッド音楽のセッションミュージシャンとして活動してきた彼が一躍有名になったきっかけは、1982年にリリースした10曲入りのアルバム“Ten Ragas To A Disco Beat”。 当時発売されたばかりのローランド製のシンセサイザーを使い、インド伝統音楽のラーガと欧米のディスコミュージックをミッ

    “世界初のアシッドハウス”はどのようにしてインドで生まれたのか?【追悼Charanjit Singh】