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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (12)

  • 「金鶴泳」の読み方 - jun-jun1965の日記

    1985年に自殺した作家・金鶴泳を私は「きんかくえい」と読んできたが、先日、国会図書館で「キム・ハギョン」になっているのに気付いた。「直木賞のすべて」でもそうなっている。自殺した時の新聞記事は「きんかくえい」だった。いったいいつ変ったのかと思い、没後の『金鶴泳作品集成』(作品社)を見たら、奥付に「きんかくえい」とある。ところが国会図書館はこの題名に「キムハギョンサクヒンシュウセイ」とルビを振っている。書誌の作成において誤っているのでこれは問い合わせ中である。2010年にシングルカットから出た『土の哀しみ』も「きんかくえい」である。国会図書館の著者標目のデータを見ると、2005年に「きんかくえい」から「キムハギョン」に変えているが、これも何でか問い合わせ中である。怪しいのは2006年に出た『在日文学全集』の金鶴泳だが、これは現物を見ていない。何にせよ、こんなことは人の意思が最優先であろう。

    「金鶴泳」の読み方 - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/what's%20new/2011/koyano518.pdf 鈴木氏の反駁文は、筋とは関係のない話が多く、そこで「博識」ぶりを開陳するので、それに幻惑されてしまいがちだ。私も、余談を誘発するようなところがある。そこでそういうあたり、ないし私への嫌味の類は無視することにする。 さて、鈴木氏の著書の冒頭は「書は、「日文学史」などに用いられる「日文学」という概念が明治期にはじめて成立したこと、それが国際的に実にユニークな「人文学」であることを明らかにする」となっている。ところがここで(以下敬称略)鈴木は「明治期に成立した『日文学』という概念」といっているが、これはだいぶ違っている。「明治期に成立して、今日まで引き継がれてきた」という意味だと、普通はとる。そして「小谷野君は「明治期に成立した」を抜かして1980年ころを

    ■ - jun-jun1965の日記
  • ■ - jun-jun1965の日記

    どうも「東大教授」というものは誤解されていて、ドイツ文学者で東大教授なら独文科教授だ、などと考える人が多いのだが、実際は戦後は教養学部というのがあって、そちらの教授のほうが多いので、そっちにいる確率も高い。各研究室が、きちんと歴史と過去の在籍教員を記したものをネット上に置いておいてくれればいいのだが、なかなかそれもなく、中にはオリジナルサイトさえない研究室もある。それで、各研究室について、在籍教員の歴史を表にしてみた。まだ全部ではなく、私の関心に沿った形である。

    ■ - jun-jun1965の日記
    irureme
    irureme 2013/07/20
    東大教授、各研究室の在籍教員の歴史
  • ピアレビューって何? - jun-jun1965の日記

    http://www.nakahara-lab.net/blog/2011/11/post_1808.html この文章を読んで、ははあ東大准教授ともなると40くらいでこんな「たてまえ文」を書くのか、と感慨にふけった。 英文学会とか比較文学会というのは確実に会員が減っていると思う。だいたい院生とか若い学者が学会へ入るのは就職のためである。しかし学会誌に投稿して学会の懇親会に出て、就職が決まるというようなことは、昨今どんどか減っているから、こんな牧歌的なことを言っていられるわけがない。ましてや40、50で専任がない、なんて人は学会費だってバカにならないし、論文は原稿料出ない。学会というのは、まあ30ちょっと過ぎて、東大の院出身ならだいたい専任になれるというような社会を前提として成り立っていたのだから、その前提がなくなれば成り立たないのは当然である。 私は「ピアレビュー」という言葉を、聞いたこ

    ピアレビューって何? - jun-jun1965の日記
  • 芥川賞選評 - jun-jun1965の日記

    コンビニで『文藝春秋』を立ち読み、芥川賞の選評を見る。受賞作をまったく評価していなかったのが、石原慎太郎と村上龍。前回の受賞作を推した二人である。最近、この二人、意見があう。私も、石原とは、芥川賞に関しては、前々から同意見であることがほとんどだ。 今回の受賞作だが、端的に言って、筒井康隆の亜流の亜流みたいなもので、筒井に直木賞をやらないで、こんなものに芥川賞をやるなんて、もう筒井さんも歳で怒る気力もないだろうが、ひどい侮辱だと思う。似たような話なら、筒井さんのほうがもっとずっと上手く書けるし、現に書いている。蓮實先生流に言えば、文学史への冒讀である。 それに、十数年前に「おどるでく」で芥川賞をとった作家は、その後どうしたのか。今回の受賞作の宣伝を見ていると、「おどるでく」の時の既視感を激しく感じるのだが。 (小谷野敦) http://d.hatena.ne.jp/rento/2007080

    芥川賞選評 - jun-jun1965の日記
  • 越智治雄のことなど - jun-jun1965の日記

    越智治雄という、日近代文学専門の東大教授がいた。駒場のほうである。当時、郷には三好行雄がいて、二人で東大の近代文学を担うかたちだった。吉田精一が短期間いたほかは、当時東大には日近代文学の教員はこの二人だけだったが、東大嫌いの谷沢永一はこの二人に猛攻撃を仕掛けた。三好のほうは文章での論争になったが、越智のほうは、口頭でやったらしく、どうも資料がない。 越智は、それから弱って、1983年、53歳で死んでしまった、というのだが、調べてみたら、もともと病弱で、薬をたくさん抱えていたという。顔はハンサムで、黒澤明に俳優になるよう勧められたというのだが、そう病弱では俳優は務まるまい。その病弱が、1976年から特にひどくなったようで、七年間病み続けて死んだらしい。 東大の「教養学部報」を見たら、田尻芳樹氏が河合祥一郎さんの訳したグリーンブラットの書評を書いていた。大昔は、文学研究といえば、作家

    越智治雄のことなど - jun-jun1965の日記
    irureme
    irureme 2010/04/26
  • ジャンボフェニックスとラジオ体操の唄 - 猫を償うに猫をもってせよ

    鈴木貞美の新刊書をめぐって、『新潮』1月号の書評で中島一夫が批判し、3月号で鈴木が反論している。文藝雑誌誌上で論争めいたことが起きるのは久しぶりである。 鈴木はかねて、前田愛の『近代読者の成立』の、黙読は近代になって始まったという説を批判している。中島はそこのところで、すが秀実の論に対する論及がないと言う。鈴木は、そんなもの関係ない、と言う。ただこの前田批判においては、実際には前田は、前近代においてはみなが音読していた証拠など出していないので、よしとする。 しかし鈴木という人は、同じような内容のを繰り返し出す。私は『日の「文学」を考える』(角川選書、1994)は、あちこち付箋をつけて読んだものだし、森鴎外の初期短編が、ドイツの三文小説のまねだとか、勉強になった。ところが、『日の「文学」概念』(作品社、1998)も買ったのだが、何やら前著をさらにふくらませたようなものだったから、放置し

    ジャンボフェニックスとラジオ体操の唄 - 猫を償うに猫をもってせよ
    irureme
    irureme 2010/02/18
    「小学館の日本古典文学全集の狭衣物語の月報にあります」「(付記)『週刊読書人』を見たら、鈴木貞美は今度は紅野謙介の書評に答えていた。」
  • 加藤典洋よ、お前は既に死んでいる - jun-jun1965の日記

    前に『文学界』に連載していた「文壇から遠く離れて」は、『反=文藝評論』(新曜社、二○○三)に収められているのだが、その中の「虚構は『事実』に勝てるか」という章の最後で、私は「想像力」という語の安易な用い方を反省すべきではないかと書いておいた。この語はサルトルが用いたのを、日では大江健三郎が盛んに使って広まった。「他者」という語もサルトル由来で、こちらは江藤淳によって広められた。この二つを合わせて「他者への想像力の欠如」といえば、今では手垢にまみれた言葉である。それを、加藤典洋が『朝日新聞』の文芸時評(七月二十五日夕刊)で使っていたから、今さらながら加藤の鈍感さに驚いたのだが、想像力なるものは、人に冤罪を着せるためにも使われるし、あらぬ噂をたてる場合にも使われる。重要なのは事実ではないか、と私は書いた。 さて加藤は、私の「悲望」をとりあげて、「相手の女性が感じただろう恐怖と不安への想像力が

    加藤典洋よ、お前は既に死んでいる - jun-jun1965の日記
  • 史上最低の芥川賞受賞作 - jun-jun1965の日記

    最近でいえば、中村文則と双璧をなす。漢語表現をそのまま使っているほか、変な日語が散見される。中味にしても、何ら小説である必然性がなく、これなら、ドキュメンタリーかノンフィションを読んだほうがいいだろう。白英露とかいう女の描写も中途半端だし、「梅」とかいうに至っては、何も描かれていない。まるで明治40年以前の青春小説の出来損ないで、青年二人が主人公なのに、尾崎豊がどうのこうの言っているだけで、「性」については何も書いていないというのが、いかにもシナ人らしい。同人雑誌に載って埋もれていくべきレベルの「小説」である。 石原慎太郎は欠席したそうだが、選評は文章で書いてくれるのではないかな。もっとも、石原が出席しても、受賞作に変りはなかっただろう。 豊崎由美は今回の受賞作に激怒しているが、小川や川上に気で期待していたのか? 豊崎と大森望の「メッタ斬り!」が始まって以来、芥川賞の選考は文学オタク

    史上最低の芥川賞受賞作 - jun-jun1965の日記
  • 谷崎潤一郎詳細年譜(大正9年まで) - jun-jun1965の日記

    (写真は水島爾保布による「人魚の嘆き」挿絵) 1918(大正7)年        33 1月、芥川「良工苦心・谷崎潤一郎氏の文章」を『文章倶楽部』に掲載。 2日、戯曲「仮装会の後」を『大阪朝日新聞』に発表。 5日、12日、19日、「襤褸の光」を『週』に連載。 25日、芥川、鵠沼へ一泊で遊びにゆく(岡栄一郎宛芥川書簡) 2月、戯曲「兄弟」を『中央公論』に発表。 9日から19日まで「少年の脅迫」を「大阪毎日東京日日」に、21日から3月19日まで「前科者」を『読売新聞』に連載。 同月、北原白秋が小田原「木菟の家」に住む。 精二、郁子と結婚、牛込弁天町に一戸を構える。(21日「よみうり抄」)だが姑も郁子も天理教の熱心な信者だったため夫婦仲悪し。 3月、「人面疽」を『新小説』に発表。 精二、「父母のこと」を『中央公論』に発表。 同月、神奈川県鵠沼の「あづまや」別館に転居。ここで英訳のプラトン全集を読

  • 宮原昭夫の少女小説 - jun-jun1965の日記

    宮原昭夫という作家を知っている人は少ないだろう。1972年、39歳で芥川賞をとっている。だから今は73歳ということになる。 最新の著作は2002年の『シジフォスの勲章』だが、これも品切れで、現在生きている著作はない。NHKの少年ドラマ『あなたの町』の原作者でもある。 しかし、かつて私は宮原の「少女小説」に夢中になったことがあった。芥川賞受賞前後の作品で、文学界新人賞をとった「石のニンフ達」や「駆け落ち」などである。少女小説といっても、吉屋信子のようなのではなく、少女を描く小説である。太宰治の「女生徒」とか、川端康成のあれこれのようなものだ。だが宮原の描く少女は、その年代相応に意地悪でかつキュートだった。ただし芥川賞受賞作は、障害児を描いたもので毛色が違う。その後宮原は『海のロシナンテ』のような海洋冒険小説、『陽炎の巫女たち』のような女性青春小説を書いているが、実は読んでいない。しかし、「石

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    irureme
    irureme 2006/11/30
  • 猫を償うに猫をもってせよ

    湯浅規子の「焼き芋とドーナツ」というをちらちら読んでいたら、これが、高井としをの『わたしの「女工哀史」』と、サンドラ・シャールの『『女工哀史』を再考する』という二冊のをめぐって書かれたであることが分かったので、この二冊を図書館で借りてきた。 高井としをは、『女工哀史』を上梓してすぐ死んでしまった細井和喜蔵の内縁ので、その後労働運動に挺身し、戦後になって自伝的回想を出したうち、まとまっているのが『わたしの「女工哀史」』で、1980年に刊行され、2015年に岩波文庫に入った。 これを半分くらい読んだ。高井というのは旧姓ではなく、旧姓は堀で、高井は細井が死んだあと再婚した高井信太郎の姓で、高井も戦争中に病死している。 とにかくやたら気が強い女なのには驚かされるのだが、どうも読んでいて一抹の違和感がある。細井が死んだあと、新聞に「細井和喜蔵未亡人ご乱行」という記事が出て、売れていた『女工哀

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    irureme
    irureme 2006/09/14
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