分かっているつもりでいても、自らが体験しないと分からないことがある。 今、思えば……、東京で暮らす私たちにとって、阪神・淡路大震災の恐怖と混乱と悲しみは、人ごとだったような気がしてならない。リアリティーがあるようでなかった。いや、私たち、ではなく、私、と言い変えよう。私は分かっているようで分かっていなかったのだ。 3月11日金曜日の午後2時46分。東北地方太平洋沖地震が起きた時、私はJR水戸駅のホームにいた。 東北地方の震源地近くに比べれば揺れは大きくなかっただろう。それでも、水戸駅は一瞬にして機能不全とパニックに陥った。 生まれて初めて、死ぬかも、と思った。 幾度となく阪神・淡路大震災の映像を見て、地震の怖さが分かっていたつもりだった。だが、土煙が上がり、目の前の建物が大きく横に揺れ動いて、線路に振り落とされそうになり、改めて自然の猛威を思い知った。 阪神・淡路大震災が起きてから10年目
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