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2008年8月8日のブックマーク (2件)

  • 見田石介『ヘーゲル大論理学研究』

    見田石介『ヘーゲル大論理学研究』 ぼくは、ネット掲示板に基的に書き込みをしない。 友人のサイトのBBSで馴れ合うとか、「お知らせ」みたいなことをするときなど、ごくまれな場合だけである。2ちゃんねるは見ることはあっても、カキコは一度もない。論争したりするときはメール、メーリングリストでおこなう。 ネット掲示板での「論争」は、たいてい不毛だ。あっというまに汚い悪罵の投げつけに変わる。 むろん、メールといえども、掲示板と同じ精神でやれば、なんら選ぶところはない。 「まちがっている」相手を「批判」し、その相手を打倒しようとする。 Aという議論にたいし、アンチAをつきつける。 ぼくが今ここで問題にしているのは、「対話ムードでやりましょう」ということではない。むろんそれは大事な議論のマナーであり精神的スキルであるのだが、ここでぼくがいいたいことは、「まちがっている」とはどういうことか、という問題であ

    it1127
    it1127 2008/08/08
    形式論理学において、Aであるものは、Aでしかない。A=Aだ。A=Aである場合、A≠Aではありえない。ヘーゲルは、これは現実の豊かさをとらえるには無理がある、限界があると感じ、弁証法論理学をうちたてた。
  • 齋藤孝『座右のゲーテ』

    齋藤孝『座右のゲーテ』 齋藤孝にハマっているというわけではないけど、これはと思うを手にとると、一瞬で読んでしまう。いや、読めてしまう。それくらい水がしみとおるように、自分の中に入ってくる。 書は、20代のころゆきづまった齋藤が、ゲーテを開いたらそこに道を開いてくれるようなヒントが満載されていたという体験をもとに、ゲーテの言葉(正確には、エッカーマン『ゲーテとの対話』)を綴って、それを齋藤流に解説したものである。 ……と、ぼくからこんなふうに電話でだけ聞いたつれあいは、読みもしないくせに、「なーんかうさん臭いよね。そもそもゲーテっていうのは山師みたいな男だったじゃん? 何にでも手ェだしてさ。じゃあ、あたしが感動するかどうか何か言ってみ」と斜に構え、鼻で笑う態度。 文章を読まずテーゼだけを伝えてもこの妙は伝わらん、と絶望的な気持ちになりながら、「小さな対象だけを扱う」「他人の評価を気にしな

    it1127
    it1127 2008/08/08
    たんなる抽象的普遍ではなくて、特殊的なもの、個体的なもの、個別的なものの豊かさ“(特殊的なものと個別的なもののすべての豊かさ!)”を自己のうちに具現している普遍