タグ

自由意志に関するit1127のブックマーク (6)

  • ENGAGEMENT

    アンガージュマン (あんがーじゅまん engagement) 人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない。 ---サルトル この概念[アンガージュマン]はさまざまに解釈が可能であり、 その意味は必ずしも一義的ではない。 このことばには、単に〈参加〉という訳語だけではなくて、 〈政治参加〉〈社会参加〉〈現実参加〉〈自己束縛〉〈責任敢取〉〈かかわり〉など、 さまざまの訳語があてられている。これらの訳語にうかがわれることは、 現実を遊離して行きるのではなくて、 むしろ現実そのものにかかわって生きるということである。 ---市倉宏祐 サルトルの用語。 フランス語なのでengagementは「アンガージュマン」と読む。 英語ではcommitmentと訳されることが多いようである。 通常、アンガージュマンは政治参加と解されるが、 より一般的には、或る選択(たとえば結婚)を主体的に行なうことで

    it1127
    it1127 2010/08/19
    自由意志について。自由だと感じてはいるが、俯瞰の目で自分を見れば、果たしてそれが自由だといえるのか、言えるともいえるし言えないともいえる。大切なのは両方の視点を自覚することだと思う。
  • 今週の本棚:山崎正和・評 『生きるための経済学…』=安冨歩・著 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇『生きるための経済学--<選択の自由>からの脱却』 (NHKブックス・1019円) ◇孤我と共同体をともに超えて これは挑発的なである。近代経済学とマルクス経済学を重ねて一刀両断し、返す刀でそれらの近代思想の根底というべき、「選択の自由」という観念に挑戦するのである。 一方、著者の思考態度は真摯(しんし)であって、しかも経済学、社会学、数学、物理学、東洋思想にわたる該博な知識に支えられている。現代の学界が専門分化へ雪崩(なだ)れをうつなかで、これは強く根源的であり、総合的であろうと志すである。 ときに西洋思想批判の過激さにはとまどいながら、私は珍しくこの著者と建設的な討論をしてみたいと、書評する誘惑に駆られた。もっともの冒頭を飾る、物理学を根拠とする経済学批判については、あえて言及を避ける。私の能力の限界もあるが、著者がみずからの批判を貫徹していないからでもある。 市場経済理論の破

    it1127
    it1127 2008/12/13
    山崎正和、まだまだ現役なんだ! ビュリダンのロバの寓話と同じミヒャエルエンデの寓話ってなんなのだろう!? それにしても私好みのワードが満載だな!
  • 瀬名秀明の時空の旅: 自由は進化する

    ようやく読了。長い。だが拙作『デカルトの密室』のテーマと強く呼応していることに驚いた。書き終える前に読んでいたら、完璧に引きずられていたかもしれない。以下は書評の下書き、備忘録。 翻訳は山形浩生。この訳者は(小説だとふつうなのに)なぜかノンフィクションだとタメ口で訳すクセがあり、読み始めてしばらくはひどく違和感があった。だがだんだん慣れてきた。 私はデネットの意見と方向性に賛同する。巻末の訳者解説は力作だと思うが、はっきりいって重要なポイントを外していると思う。何を外しているのか、ここで述べよう。まずデネットは、「自由」というものを大きくふたつの段階に分けている。生命体としての自由、つまり鳥がどこへでも飛んでいける自由と、人間の自由、私たちが「自由意志」と呼んでいるものだ。生命体としての自由から人間の自由への進化、それは道徳・倫理の進化なのだ、という話をデネットはしているのである。鳥は

  • 「意識による判断の7秒前に、脳が判断」:脳スキャナーで行動予告が可能 | WIRED VISION

    「意識による判断の7秒前に、脳が判断」:脳スキャナーで行動予告が可能 2008年4月17日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim この図は、被験者が実際に決定を下す前に、その決定が発現する脳の領域(緑の部分)を示している。 Photo:John-Dylan Haynes あなたは、自分がこの記事を読む決定をしたと思っているかもしれない。だが実際は、あなたが自分の決定を認知するずっと前に、脳が決定を下したのだ。 4月13日(米国時間)に『Nature Neuroscience』誌に発表された研究報告によると、脳スキャナーを使った研究者らは、被験者が自分で認識するより7秒も早く、彼らの決定を予測できたという。 今回調査されたのは、ボタンを左手と右手のどちらで押すかに関する判断であり、これは、人間の自己決定の感覚とより完全に結びついた複雑な選択

  • 〈 SL 〉: サール『自由意志について』

    Saturday, December 01, 2007 サール『自由意志について』 Authors@Google: John Searle またテレビばっかり見て。 さて、上のビデオでは、自然法則にしたがって、たとえば地震で橋がくずれるのと、人間が投票所に行って候補者の名前を書くのと、どうちがうんだろう、という話がされている。脳の内部でニューロンやらなんやらがごにょごにょやってるのも、けっきょくぜんぶ、「配管(plumbing)」のレベルでは、心も意味も持っていない構成要素がやっていることで、自然法則にしたがってるんなら、やっぱりぜぇんぶ事前に決まってるんじゃないの? という議論に(テツガク的で無茶な議論をせずに)反対するには -- つまり、ぼくらが普段ぼーっと考えているような自由な意思があると言うためには -- どういう可能性があるんだろう、という話。 山形さんのサールのレビューは前に

  • ラジオ・メタフュシカ

    it1127
    it1127 2008/04/17
    永井均講師 『意識の神秘は存在するか』
  • 1