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ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (2)

  • 橋本治「小林秀雄の恵み」(4)《美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。》 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    第5章「じいちゃんと私」にいたって、「小林秀雄の恵み」というタイトルに意味が明らかとなる。 橋治は37歳のときにはじめて、小林秀雄の「居宣長」を読む。それは「デヴィッド100コラム」というで「『居宣長』― 書評」というのを書くためである。これは100編のコラム(?)を収めたで、ほかにも「『箱男』― 書評」とか「『氷点』― 書評」とかいうコラム?もあるが、別に書評集ではなくて、「スーパーのチラシ研究」とか、「『てなもんや三度笠』をもう一度」とか、もうまったく雑多な文を集めたである。 まず先に「『居宣長』― 書評」というタイトルを決めて、後から「居宣長」を読んだのだそうで、どうも小林秀雄のをまともに読むのは始めてということであったらしい。その動機は、日で一番難解といわれているに挑戦する、というようなものであったようである。 「デヴィッド100コラム」は「ロバート」という

    橋本治「小林秀雄の恵み」(4)《美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。》 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    it1127
    it1127 2008/02/27
    世阿弥がその芸の目標を「幽玄」とか「侘び」とか「寂び」とかいう抽象的な言葉ではなく、「花」という具体的なものを指す言葉で示したということである
  •  ⑤ 橋本治「ぼくたちの近代史」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    治の「ぼくたちの近代史」(河出文庫 1992年 単行 主婦の友社 1988年)は1987年におこなわれた講演をにしたもの。3部にわかれ、全6時間というとんでもない講演で、その第一部はほとんど全共闘問題だけが論じられている。いままでいくつか読んだ全共闘運動について書かれた文章の中で、わたくしには一番しっくりくる説得的なものである。それは、橋氏が、例の「とめてくれるなおっかさん・・・」で有名になった人であっても、その時期、全共闘運動のそとの「一般学生」として過ごした人間であり、わたくしもまた「一般学生」として過ごしたからなのかもしれない。 さて、橋氏によれば、全共闘のことは、みんな知っているけれども、同時に、実はみんな知らない。当事者さえも知らない。「結局あれは、なんだったんでしょうね」とかいっているのだそうである。それで、橋氏によれば、 あれは「大人は判ってくれない」ですよね。

     ⑤ 橋本治「ぼくたちの近代史」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    it1127
    it1127 2008/01/22
    三島由紀夫が全共闘のタテ看は何を言いたいのかはちっともわからないけれども、性欲過剰であることだけはよくわかる、といっているのにも通じるのでろう。
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