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ブックマーク / mubou.seesaa.net (5)

  • 「今日、幼稚園で何があった?」という質問が息子に嫌がられていた理由: 不倒城

    長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。 子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。 我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。 息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。 ん、色々? 私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。 実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは

    itacchi
    itacchi 2013/02/27
    まぁ質問の仕方にも色いろあるわな
  • ラピュタには何故自爆コマンドが用意されているのか: 不倒城

    バルスのことなんですけど。 大多数のネットユーザー諸兄はご存知かと思うが、バルスは天空の城ラピュタにおける「滅びの言葉」である。劇中ラストシーンにおいて、家伝の飛行石を手にしたシータとパズーが「バルス!」と叫ぶと、なんか飛行石がやたら光ってムスカさんが目が目が星人になったりラピュタがぶっ壊れたり、色々とエラいことになる。 「バルス=滅びの言葉」という図式の定着度・認知度はWeb上では恐ろしい程であり、ラピュタ放映時には実況板が「バルス!」の書き込みとAAで埋め尽くされるという。 まず考えなくてはいけないのは、このバルスという命令は一体何の為に用意されたAPIなのかということである。 ラピュタは人工物なので、当然設計者や開発者がいた筈である。そして彼らは、管理権限キーっぽい小さな飛行石に、複数のコマンドを用意している。「困った時のおまじない」であるとか、「滅びの言葉」がそれである。飛行石を身

    itacchi
    itacchi 2011/06/17
    『多分コメント行を読んでみれば「ちゃんと周囲の施設停止してから使用してね!」とか書いてあるに違いない』違いないw
  • 格ゲー低速化のススメ: 不倒城

    新宿モアが9月末に閉店していたことを、2ヶ月も経過した今日知った。 前を一度、通ったのだ。あれ、閉まってるなあ、とは思ったけれども、閉店しているとは正直気付かなかった。私とモアの、最近の付き合いはその程度のものだったが、それでも、私の人生のコンマ何%かはあのゲーセンに積もっていると思う。特に新宿区居住だった一時期、ゲーセンといえばモアだった。聊かの感慨。 潰れた理由はよく分からない。ただ、新宿再開発の話だとか、モアがあった辺りのビル何軒かがヤマダ電機に変わる、といった情報は聞いた。 しかし、対戦のメッカと呼ばれていたゲーセンまで潰れてしまう昨今の状況を鑑みると、ますますゲーセン事情は厳しいなあ。と思わざるを得ない。まあ、私は基的にシューティングが出来れば幸せな人ではあるのだが、格ゲーもそれなりに好きであるし、なにしろシューティングのインフラであるゲーセンが潰れると困るったら困る。 そこで

  • 最近2DのRPGが希少化している幾つかの理由。: 不倒城

    どうも、「作らない」ではなく「今更2Dに戻せない」事情が色々あるらしいのだな。 私の仕事とは直接関係ないのだが。大学時代の友人が某ゲームメーカーに勤めていて、4年振りくらいに連絡をとったついでに聞いた話。他のメーカーさんでも当てはまるのか、という保証は残念ながらない。そんなケースもあるのか、という程度で。 1.グラフィック部分は、非常に工数(開発に要する労力)がかかる割にある程度作業工程を切り離すことが可能。その為、まとめてオフショア(海外発注)に出されるケースが結構ある(これは、開発チームの事情ではなくてどちらかというと経営側の事情らしい) 2.海外の協業さんには、そもそも2Dのグラフィックを描く技術を持っている人が少ない(オフショア開発が一般的になってきた時期、既に3Dゲーが主流になっていたことが一因らしい) 3.海外の協業さんとの連携が非常にやりにくい。細かい指示が届かず、仕様書の読

    itacchi
    itacchi 2007/06/06
    なるほど、オフショアね
  • 許せないブロガーと、怒れないブロガー。: 不倒城

    あんまポジティブな話じゃないが。 随分昔、「書く」ことでっていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。 何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている。 文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。 「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。 を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。 一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的に

    itacchi
    itacchi 2007/03/27
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