横浜に久々に笑顔が戻った。0―0の後半39分に、連敗を2で止める待望の決勝点。決めたのはこれが5試合ぶりの先発復帰となった「10番」FW小野だ。 DF栗原のハーフウエーすぎからの長い右クロス。DF金根煥の影で待ち受けた小野が右足裏でピタリとトラップすると、間髪入れずに右足を振った。「本当は左で打とうと思ったけど右足に来たので。打ちやすい形で打ってたら逆に止められてたと思う。ラッキーでした」。18歳らしく白い歯をこぼして笑った。 首位に立った7月17日の大宮戦で途中交代を命じられ、その後の1カ月は精神面の未熟さなどから紅白戦からも外される荒療治。ただ、対人練習ばかり繰り返す日々に「体のキレは上がってきた」。同時に「笑ってやる、楽しんでやる」、そんなサッカーの原点に立ち返ることもできた。 4日に大先輩の松田直樹さんが亡くなってから、ようやく挙げた1勝だった。思い出されるのは昨季最終節。す
<J1:横浜1-0磐田>◇第22節◇20日◇日産ス FW小野裕二(18)の決勝ゴールで、横浜が磐田を下し、優勝争いに踏みとどまった。5試合ぶりの先発で、後半39分に右足アウトサイドでゴールに蹴りこんだ。4日に「ミスター・マリノス」松田直樹さん(享年34)が急逝してから初のホーム戦。大先輩にささげる1発だった。 FW小野が、故松田直樹さんにささげる決勝ゴールで磐田を下し、横浜が優勝争いに踏みとどまった。 18歳には1つの言葉が去来していた。「お前みたいに仕掛けられたら絶対にDFは嫌だ。ドンドンいけ」。約1年前、ユース所属でトップチームに合流。そこには面倒見の良い先輩がいた。4日に逝去した松田直樹さんだった。いまもかけられた言葉を思い出す。 だから、ボールを持ったら相手が何人いようと構わずドリブル突破で仕掛けた。諦めずに後半39分。DF栗原のクロスがエリア内で足元に入る。無我夢中で、右足アウト
だいぶ更新が遅くなってしまい申し訳ありません。 こんな時こそと思っていつもは頑張って書いてたんですけどね。 さすがに今回ばかりは無理でした。 2011年8月4日。 松田直樹選手が永眠されました。 何から書いたらいいのか。 何を書いたらいいのか。 正直、いまだに全然わかりません。 連日、ニュースで報道されていた映像を見ててもどこか他人事で、 少し時間が経って落ち着いてきた今でも未だに事実を受け止められずにいます。 でも、病院で対面した松さんは確かに動かなかった。 山雅の3番のユニフォームを着て、スパイクを履いて、トレードマークのヘアバンドまでして、本当にいい笑顔で・・・ 今にも動き出しそうだったけど、やっぱり動かなかった。 松さんの生まれ故郷の桐生市で行われた告別式にも参列させてもらいました。 当たり前だけど、 やっぱり動かなかった。 正直言って全然実感がなくて、 今でも、 「しゅうちゃん、
J1クラブ初!横浜、松田さん「3」永久欠番申請へ
コラム 【寺野典子コラム】松田直樹が逝った。 Tweet 2011年08月09日09:24 Category:コラム寺野典子 8月4日昼過ぎ、ニュース速報を見た友人から「マツのこと聞いたよ。大丈夫?」というメールが携帯に届いた。そのことを知らなかった私は、「倒れたのは2日前の話なのに……」と携帯電話をしまい、空を見上げた。青い空に白い雲がはっきりと浮かんでいた。強い日差しを浴びながら、久しぶりの夏空に目を細める。 「マツらしい空だな」 ふと、そんなことを思った。 彼の旅立ちを知ったのは、それから数分後のことだった。 松田直樹を初めて取材したのは、彼がマリノスに入った年で、そこから10年以上は数カ月に一度はインタビューをし、アトランタ五輪をはじめとした代表でも取材はつづいた。けれど、2005年以降、じっくりと時間をかけて話を聞く取材はたった一度しかなかった。長く携わっていたサッカー雑誌の仕事
松田はずいぶんと幸せだったと思う。 しなりがtwitterで、「松田は最高の人生で、美しく死んだ。34で死ぬとわかっていても、ああいう風に生まれ変わりたい」というようなことを書いていたが、これに自分は全く同意である。 天賦の才能に恵まれ、わがまま放題でサッカーも私生活も掻きまわすだけかきまわして、それでも憎めない・・・どころか愛されていく。 昨年の一連の契約非更改の騒動もそうだった。 勝つということに非情さが必要となるときもあろう。 それはサッカーにしろ仕事にしろ、なんでも同じだ。顧みるに、自分がそういう瀬戸際に立たされたときに、非情なこともされてきたし、非情なことも してきた。 怒り、悲しむ気持ちは分かることであれど、そちらも理解せざるを得ない。自分はこの騒動のあいだの折々、カントナを切ったエメ・ジャケの決断が頭にあった。 これを評して、ある人は「ミスターマリノスだからミスターマリノスを
2011年08月07日01:16 カテゴリ 松田直樹に感謝を込めて まだ2年半しか写真を撮っていませんが、松田直樹がマリノスで戦った姿を集めました。 【2009年11月15日 天皇杯2ndLeg 川崎フロンターレ戦】 【2010年05月29日 ナビスコカップ 湘南ベルマーレ戦】 2点先制し、攻める気を無くした若手に「点取りに行け!!」と叱咤していたマツ。 【2010年08月29日 アルビレックス新潟戦】 ゴールした功治と俊輔にいたずらをするマツ。 【2010年05月22日 ナビスコカップ 清水エスパルス戦】 開幕前からの怪我から帰ってきたマツ。マツの2010年開幕戦でした。 【2010年10月31日 サンフレッチェ広島戦】 ジローの決勝ゴールに「本当にお前が決めたの!?」とおどけるマツ 【2010年11月14日 FC東京戦】 元チームメイトの石川直宏と握手するマツ 【2010年11月06日
4日に心筋梗塞のため急逝した元日本代表DFの松田直樹さん(享年34)の群馬県桐生市内の実家は、最後のお別れに備えて関係者が慌ただしく出入りした。今日8日に通夜、明日9日に告別式をいずれも同市内の桐生市斎場で実施。7日、松田さんが昨季まで16年間在籍した横浜の職員や親族らが実家を訪れ、喪主の母正恵さんと打ち合わせなどを行った。クラブのホームページでも日時や会場の案内を掲載しており、大勢のファン、サポーターの来場を想定して専用受付を設ける。 この日は、今日8日から日本代表の北海道合宿に同行する日本協会の田嶋幸三副会長(53)が弔問に訪れ、遺体と面会した。「U-17代表のころからですから…。本当に残念です。せめて、最後に顔を見られてよかった」と目頭を押さえた。 通夜は8日午後6時から、告別式は9日午前11時30分から執り行われる。【山下健二郎】
U-22(22歳以下)日本代表に初選出されたJ2愛媛FCのFW斎藤学(21)が、「松田魂」継承を誓った。日本サッカー協会は4日、国際親善試合同エジプト戦(10日、札幌ド)のメンバー22人を発表。斎藤は、昨季まで横浜でともにプレーした元日本代表DF松田直樹さんの死去に衝撃を受けながら、「気持ちを受け継ぐ」と前を向いた。 小学生から横浜の下部組織で育った。そのころから活躍し続ける姿を間近で見てきた。09年にプロ入りしてからは、より影響を受けた。「戦う姿勢、気持ちの入ったプレー。そこの部分は本当に勉強になった」。時には叱咤(しった)され、時には激励されながら先輩の背中を追ってきた。 午前中の練習を終え、訃報を聞いた。その後に代表初招集の報。本来は喜びの知らせも、整理はついていない。だが、「前を向いて進まないといけない」と自身を鼓舞する。「どんなときでも戦う」。それが先輩から学んだ「気持ち」だから
無料で資料をダウンロード SEOサービスのご案内 専門のコンサルタントが貴社サイトのご要望・課題整理から施策の立案を行い、検索エンジンからの流入数向上を支援いたします。 無料ダウンロードする >> 携帯電話、スマートフォンのカメラ機能も以前に比べるとはるかに高性能になってきましたが、まだまだ専用のデジタルカメラや一眼レフにはかなわないと思っている人も多いかもしれません。一方、スマートフォンの場合は専用機にはない大量の写真アプリが存在し、うまく使えば他では撮れないオリジナルな1枚に仕上げることも可能です。さらに最近では既存の高機能レンズをiPhoneに装着できるマウントなんてものまで登場しているようです。そんな進化し続ける携帯カメラの世界をまとめた記事を紹介します。 — SEO Japan 最近私達は、Flickrユーザーの間で最もよく使われるカメラがiPhoneであることを発見した。もちろ
2011.08 / 2011.07 / 2011.06 / 2011.05 / 2011.04 / 2011.03 / 2011.02 / 2011.01 / 2010.12 / 2010.11 / 2010.10 / 2010.09 / 2010.08 / 2010.07 / 2010.06 / 2010.05 / 2010.04 / 2010.03 / 2010.02 / 2010.01 / 2009.12 / 2009.11 / 2009.10 / 2009.09 / 2009.08 / 2009.07 / 2009.06 / 2009.05 / 2009.04 / 2009.03 / 2009.02 / 2009.01 / 2008.12 / 2008.11 / 2008.10 / 2008.09 / 2008.08 / 2008.07 / 2008.06 / 2008.05 /
サッカー・スルガ銀行チャンピオンシップ(3日、静岡スタジアムエコパ)昨季のナビスコ杯とスダメリカーナ(南米)杯の王者が対戦。磐田がインデペンディエンテ(アルゼンチン)との2-2からのPK戦を4-2で制し、優勝賞金3000万円を手にした。日本勢は昨年のFC東京に続き2連覇。磐田は前半にオウンゴールで先制。一時は逆転を許したが、後半14分にFW荒田智之(25)のゴールで追いつき、PK戦でGK川口能活(35)が2本止める活躍を見せた。 磐田のGK川口が、PK戦での強さを発揮した。2人目を右に跳んで右手1本で止めて相手にプレッシャーをかけると、3人目も同じように右手で弾き、チームを今季初タイトルに導いた。 「あいつも戦っている。あいつが力を貸してくれたんだと思う」 急性心筋梗塞で倒れた松田選手への思いが、心の中にあった。古巣の横浜Mで7年間いっしょにプレー。日本代表でもともに戦い、1学年下の後輩を
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く