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思想・哲学とポストモダンに関するitoppi802のブックマーク (4)

  • ジャック・デリダ、祈り - short hope

    ■[book]ジャック・デリダ、祈り このところ、ジャック・デリダとジェフリー・ベニントンによる共著、Jacques Derridaを少しずつ読んでいる。深更、眠りに就くまえのわずかな時間、一歩前進二歩後退な読書だったのだけれど、昨夜は眠りを誘うどころかページを繰る毎にどんどん引き込まれ、ついに明け方までを閉じることができなかった。新聞を配達するバイクの音を聞きながら、ようやく寝る。 『弔鐘』にも似た特異なレイアウトのこのは、ページが上下に分割されており、上にはデリダの思想がキーワード別に体系化され、それぞれベニントンによる解説が付されている。その明晰さはデリダをして「テオロジカル(神学的)」ならぬ「ジェオロジカル」といわしめるほどで(“geological”とはもちろん造語で、無理矢理訳せば「ジェフの論理」とでもいうべきか)、ベニントンは、「記号」「書くこと」「固有名」「署名」「贈

  • コラム カツ丼脱構築

    (1)表象としてのカツ丼 「腹減ったー、ちきしょー、カツ丼いてえ」 「おばちゃーん、カツ丼大盛り!」 「よーし、今日はカツ丼おごってやっか」 「カツ丼? 遠慮しとく。最近脂っこいものダメなの、オレ。やっぱ年なのかねえ」 現代社会に生きるわれわれにとって、カツ丼とは、とりもなおさずこのようなものである。 「今日はちょっとお腹の具合が悪いから、昼はカツ丼べよう」 こんな人はいないのである。 元気を持て余している高校生やら、やる気に満ちたサラリーマンやら、脂ののりきった中年男やらが、 「おばちゃーん!」 と大声で注文し、 「わしわしわしっ」 と豪快にべる。 われわれはカツ丼をそのようなものとして了解しているのであるし、それこそがカツ丼の質であるとして疑うことはない。 「当たり前ではないか」 と思うかもしれない。 「カツ丼は、そういうもんだろ」 だが、話はそんなに簡単ではない。少なくとも、

  • ポストモダン - Wikipedia

    ポストモダン(英: Postmodern)またはポストモダニズム(英: Postmodernism)は、近代から脱却することを目標に、20世紀中葉から後半にかけて、哲学・芸術・建築・評論などの分野で流行した広範な思想運動である。広義には、近代のあとに続くと考えられている時代とその傾向を指す言葉である。脱近代主義とも言われる[1]。 ポストモダニズムは、懐疑主義(英語版)的・イロニー的な姿勢、あるいは大きな物語(英語版)や近代主義と関連のあるイデオロギーの拒絶によって一般的に定義され、啓蒙主義的な理性主義を批判し、政治的・経済的権力の維持におけるイデオロギーの役割に焦点を当てていることが多い。ポストモダニズムの思想家は、知識の主張(英: knowledge claim)や価値体系を、政治的・歴史的・文化的な言説、あるいはヒエラルキーの産物とみなし、偶発的または社会的条件が付いたものとして表現

  • ミシェル・フーコー - Wikipedia

    ミシェル・フーコー(Michel Foucault 発音例、1926年10月15日 - 1984年6月25日)は、フランスの哲学者、思想史家、作家、政治活動家、文芸評論家。 フーコーの理論は、主に権力と知識の関係、そしてそれらが社会制度を通じた社会統制の形としてどのように使われるかを論じている。構造主義者やポストモダニストと呼ばれることが多いが、フーコーはこれらのレッテルを拒否している[1]。フーコーの思想は、特にコミュニケーション学、人類学、心理学、社会学、犯罪学、カルチュラル・スタディーズ、文学理論、フェミニズム、マルクス主義、批判理論などの研究者に影響を与えている。 フランスのポアティエで上流階級の家庭に生まれたフーコーは、リセ・アンリ4世高等師範学校で哲学に興味を持ち、指導者であるジャン・イポリットとルイ・アルチュセールの影響を受け、パリ大学(ソルボンヌ大学)では哲学と心理学の学位

    ミシェル・フーコー - Wikipedia
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