青森空襲の時私は21・2歳だったと思います。弘前の陸軍歩兵隊に居りました。「青森、燃えているぞ」の声で青森方面を見ると、もう青森の空は真っ赤だった。空一面、どす黒いピンク色だったと感じたな。それを見てまず感じた事は、「次は弘前にも爆撃機が来るんじゃないかと思いましたよ」 私は青森荒川生まれで四男坊でした。上に3人、下に3人兄弟がおりましたが、すぐ上の兄が海軍の船で南の海で戦死したと聞かされておりましたので、次は自分の番かなと思いました。あのような時って、人間だなんてまず自分の事を考えるものだと思いましたよ。あの赤く染まった空を見て、青森にいる妹や両親の心配をしなかったんだもの。ただボーッとして見ていて、何にもする事ができないし、ただボーッと見ているしかなかったんですよ。同じ兵隊仲間にお寺のお坊さんがおりましたので、この人と一緒にいれば死ぬ事はないかもしれないと思っていました。兵隊だったので
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