えー、このたび、 Wii U のバーチャルコンソールで 『MOTHER2』が配信されることとなりました! つきましては‥‥。
![『MOTHER2』ふっかつ記念対談 はじめてのひとも、もういちどのひとも。 - ほぼ日刊イトイ新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/268bb4a49df04f8ca59e2aeeafcc0ba35a7ba623/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.1101.com%2Fnintendo%2Fmother2_wiiu%2Fimages%2Ftop.png)
えー、このたび、 Wii U のバーチャルコンソールで 『MOTHER2』が配信されることとなりました! つきましては‥‥。
第三十四回配信 a 日本人が一般的に不得意とする英文法のひとつに、 冠詞の用法があります。 不定冠詞aと定冠詞theの使い分けとか、 不定冠詞をとらずかつ複数形にもならない単語とか、 冠詞なし単数形と不定冠詞付単数形とで意味が違う単語とか、 いろいろややこしいです。 仕方ないのですずきちは、 文法的に問題ない限り、極力複数形の単語を使うようにして、 冠詞自体を避けるようにしています。情けないです。 ただ英語ネイティブの間でも特に話し言葉になると、 冠詞がうっかり欠落したりするというのは 結構頻繁におこる間違いです。 有名な言いまつがいの例としては 1969年7月20日アポロ11号で人類として月面に立った ニール・アームストロング船長の有名なセリフがあります。 That's one small step for man, one giant leap for mankind. というセンテン
糸井 いま、任天堂から発表されている さまざまなことは、 きっと、岩田さんがいたころから ずっと話し合われていたことなんでしょうね。 宮本 そうです。 糸井 つまり、きちんと準備してたことばかりだから、 岩田さんがいなくなったから 強引にやらなきゃ、みたいなことはなくて、 やりかけていたことをきちんと進めるだけで おもしろいニュースになるというか。 宮本 そうなんです。 だから、岩田さんがいなくなって、 「この先、どうなるんですか?」って 心配してくださるファンの方も いらっしゃるんですけど、 開発的には、まぁ、だいたい3年くらいは、 もうやることはだいたい決まってるので。 糸井 そうか、そうか(笑)。 宮本 大きくいえば5年くらいは まったく慌てなくてすむというか。 スタッフがごっそりいなくなった、 というようなことではないので、 予定していたことを進めながら、 3年とか5年とかのあいだ
―― オリジナル、カズン、WEEKS、 Hobonichi Plannerを1冊ずつ使用中で、 spring版をつかう予定、とのことでしたが、 小説のアイディアは、 オリジナルに書かれているのですか? 西尾 いえ、アイディア等は 基本的には書き留めません。 思いついたものを忘れないうちに書く、 というのがスタンスです。 書いた小説をゲラ(校正刷り)で見る際、 チェックポイントや要点を見落とさないように メモを取っておくくらいでしょうか。 いわゆる創作ノートみたいなものはないんですよ。 ―― あ、ないんですか! 西尾さん、そうとう多作ですし、 登場人物だけでもかなりの人数におよぶと思うので、 何かにまとめてあるんだとばかり‥‥。 西尾 忘れてしまうアイディアは 忘れるべきアイディアだったと考えます。 ノートにプロットを書いてから書き始めるやりかたにも 何度か挑戦しているんですけど、 なんだか
あのね、ま、言いづらい話なんですけど、 世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが すごくたくさんいてね、多くの場合、 その人たちが迷惑をかけるんですよ。 なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、 すごく頭のいいことを考えて、 みんながそれに従えば 世の中がよくなると思ってるんです。 で、法律や、決まりや、 マニュアルをたくさんつくる。 それに従えば幸せがやってくると思って。 「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。 でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、 「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、 「俺、じつは読んでないんですよ」とか、 「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。 そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、 「どうして大衆ってバカなんだろう」って もう、涙を流しながら思うんです。 「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。 でもね、彼らが言うようなことが
あ、ここですね、 自分の名前の不当さを嘆く場所というのは。 それでは、さっそく嘆かせていただきます。 なお、当方の嘆きに関しては、 ほぼ日刊イトイ新聞宇宙部に所属する 佐藤ベイさんの監修を経ております。 さて、私、ゾンビプロセスと申します。 私はUNIXにおけるプロセスの あるひとつの状態を指すといえます。 ご存じかと思いますが解説すると、 UNIXというのはOSの呼び名で、 もともとは1968年にアメリカのAT&T社で 開発されたものですが、 現在はそこから多くの派生OSが存在するため、 そういったUNIX的OSを総称して UNIXと呼ぶ場合が多いようです。 そのUNIXからメモリ領域の割り当てを受けて 処理を実行するプログラムが すなわちプロセスなのですが、 あるプロセスは必要に応じて 他のプロセスを起動することができまして 起動する側を親プロセス、 起動された側を子プロセスと呼ぶわけ
その『信頼の構造』という本は その次の『安心社会から信頼社会へ』ともども、 「ほぼ日」というちっちゃな船に乗り込んで 大海へ漕ぎだそうとしていたときに 読んだんですけど‥‥もうびっくりしまして。
そうですね。 みんなでよってたかって ひとつのゲームに集まるっていうことは なくなってきたかもしれない。 あんまり宣伝もしないしね。 あらためて、いま「花札どう?」っていうのもね。 何かきっかけがあると、わからないけど。 ドラマで使われて、話題になることもあるかもしれない。 ──もしキムタクか誰かがドラマで遊んでたら、 みんなの目にとまるかも。 「株札のデザイン、イケテルぜ」なんてセリフで(笑)。 古い地方札はほんとにかっこよかったですね。 驚きました。 ドラマでも何でも使ってもらって、 ぜひ再発してほしいですよ。 古い地方札は、 任天堂の社員でも見たことのない人が 多いと思うよ。 ──いまの花札も美しいですけれども。 きれいだよ。だけど、 花札はひと組2,000円だから、高く感じるよね。 トランプなんかとくらべたら。 ──そのぶん、作りが違うでしょう。 裏貼りしていますからね。 別の紙で
「土楽」の黒鍋をベースに、「ほぼ日」と話し合って、 福森雅武さんが考えた、あたらしいかたちの土鍋です。 2007年に、まず2~4人用の「ベア1号」が生まれました。 そして、2009年冬、「ベア1号」のかたちをもとに、 1人用の土鍋「ベア2号」ができ、 2013年冬、お客さまからご要望の多かった 4〜6人用の「おおきいベア」ができました。 もとになった黒鍋は、 こんなかたちをしています。 そもそも、福森さんの黒鍋は、 鉄釉という黒い釉薬を使ったもので、 光沢をもったうつくしい黒い肌が特徴の土鍋です。 鉄釉を使うことで、 そのまま油を引いてステーキを焼いても大丈夫、 という、土鍋らしからぬ個性をもち、 もちろんそのまま食卓にのぼったときに 器としてもたいへんすぐれたすがたをしています。 この黒鍋をベースに、底を、やや深めにすることで、 スープのたっぷり入った鍋物もたのしめるようにしたのが 「ほ
ワインの持ち込みっていいんでしょうか? 「ワインのレストランへの持ち込み」 非常にデリケートな問題です。 応えは「イエス」でもあり「ノー」でもある。 つまりデリケートな問題なんです。 「すいません、そちらのお店、 ワイン持ち込んでも大丈夫ですか?」 そう聞かれると、まずたいていのレストランの答えは 「NO」です。 いくつかの譲れない理由があります。 まず売り上げ機会の損失。 お店が仕入れてストックしてあるワインが売れなくなる、 ということです。 他のお客様の手前、という理由もあります。 お客様はみんな自分のことを特別扱いしてほしい、 という気持ちをもってレストランに集まります。 だから出来るだけ特定のお客様を あからさまに特別扱いするのは、 良いレストランとしてはしてはならないこと、 であるのです。 でもなにより大きな理由、 ワインを持ち込んでほしくないな、と思う理由はこれ。 そのワインに
新潮文庫が 愛読者の皆さんから支持を いただいている理由は、さまざまかと思います。 しかしその中でも、 「○○があるから新潮文庫を買っています」 「○○はずっと続けて下さい」 という声が非常に多く、ときに、 「もし○○をやめたら、もう買わんぞ!」 と脅しめいた激励まで頂戴してしまう秘密兵器(?) が新潮文庫にはあるのです。 ○○とは何でしょう。 意識していないと 気が付かないかもしれませんが、 数ある文庫レーベルの中で、 唯一、新潮文庫にだけあるものです。 ここまで言えば、 わかった方も多いでしょう。 そう、これです。 この紐しおりのことを 出版用語で「スピン」と呼びますが、 第三期(連載第3回参照)が始まった 1933年から終戦直後の物資不足の時代を除き、 新潮文庫には現在まで一貫して このスピンが付いています。 もっとも、 昔は他の文庫にもスピンはあり、 新潮文庫独自のもの、 というわ
井上選手はリレハンメルとアルベールビルに 15歳と17歳で出ているんですが、 その後3回めのオリンピックを目指すとき、 長野オリンピックのシーズンの始めに お父さんが肺ガンで亡くなってしまうんです。 お父さんの応援が井上選手のスケートの 大きな支えだったものですから、 そのお父さんがいなくなったショックで 彼女は長野オリンピックの代表争いに まったく力を発揮できずに破れてしまう。 そこで彼女は一回スケートをやめちゃうんです。 お母さんとしては、 もうやめて当然だなと思っていたらしいんですが、 ある日、突然、井上選手が スケート靴を持って練習に行くんですって。 どうして彼女がスケートをもう一度 はじめる気になったのかということが お母さんにはずっとわからなかった。 それが、今回、全米の代表になって いろいろなインタビューに 彼女がこたえていくなかで、 「お父さんがいなくなって 落ち込んでいる
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