来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
NHKの不祥事を受けてつくられた「デジタル時代のNHK懇談会」の最終報告書が出た。いくつもの審議会を兼務する御用学者と御用文化人を集めた懇談会には、もともと何も期待していなかったが、この報告書は、その予想をさらに下回るものだ。公共放送がなぜ必要かという部分では、こう書かれている:公共的性格を備える放送を産業振興策や政争の具に使ってはならない。近年の放送と通信の接近を、公共性を旨とする放送の本質や使命の変化と見誤ってはならない。誰もが安価に参加しうる番組の制作と送出は、情報と文化の質的低下を招きかねず、視聴者ニーズを個別に把握する双方向技術は、商業主義の過剰な浸透につながりかねない。NHKは、技術的物珍しさや短期的収益性に惑わされることなく、民主主義社会のインフラとしての役割を果たすとともに、より確かな放送技術や番組・放送サービスの開発と普及を使命とすべきである。通信と放送の融合は「産業振興
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5.31地方選挙が終わるや我々社会はワールドカップ(W杯)の熱気に吸い込まれている。W杯サッカー本選はまだ始まってもいないのに大韓民国ではかなり前から本線が始まっている。どこに行っても赤い波一色で、テレビを見ても「大〜韓民国」だ。ガーナとの最後の親善試合があったおとといの夜、ソウル市庁前広場などでは2万人が街頭応援を繰り広げた。雰囲気だけ見ればベスト16には当然進出するようである。 もちろん世界的祭りであるW杯サッカーに関心がいくのは当然だ。特に2002年4強神話を果たした韓国としては今回のW杯出場は感慨もひとしおなのだ。 しかしスポーツはスポーツであるだけだ。民族主義が割りこめばその時点からスポーツの純粋性は破損される。ただ見て楽しめばいいのだ。勝敗にあまり興奮する必要もない。しかし我々は今、W杯に「オールイン」している。すでに我々にはW杯以外には何もないようだ。もしベスト16進出に失敗
今年はじめあたりに一端整理しようとメモしはじめたのだが、書きながら面倒くさくなったので長らく放置していた。主におれが勝手にそう呼んでいるというだけの用語で、一般性はない。 ゲームマッチョイズム ゲーム開発マッチョイズムとも。大雑把にいえば「マシンスペックの向上と共にゲーム性は進化しうる」とする考え方。3DO/SS/PS に代表される 32bit 世代機の時代に生まれたが、花開いたのはその次の世代(DC/PS2)以降か。最新のハードウェア性能によって支持された最新のソフトウェア技術がゲームの枠を拡大してゆくというビジョン。スケールの拡大、ディテールの掘り下げ。 「高性能は善である」「大は小を兼ねる」「とにかく最新型」「ハイデフへいらっしゃい」 現行の家庭用据え置き機を戦艦としてみれば、第二次大戦で旧式化した大艦巨砲主義になぞらえることができる(携帯機のマトになるだけ)。これを避けるため、新世
いつの間にかotsuneさんというひとの記事で批判されちゃっていました。「ネタにマジレス」なのかも知れないけど、ちょこっとだけ。言われっぱなしもしゃくに障るしね。 想定してもしていなくても別に良いけど、これは洗脳合戦なんだから衒学主義にこもって呪いの言葉を吐いていてどうすんだと。糸井重里メソッドの工夫をしろと。 「糸井重里メソッド」という言葉は初めて聞いたけど、僕なんか相当言葉を選んでる方だ、という自信があったので、ちょっとびっくり。まあ、ですます調で噛んで含めて皮肉も混ぜて、という親切心がなかったのは認めるけど(そういう気力を失わせる相手だったんだから、その辺は同情して欲しいところ)。 あと、「衒学主義」とおっしゃいますが、どういう意味なんだか。ネット上は「平たい場」なんだから、学者が「俺の言うことを聞け」というのは無しって事でしょうかね。「上下関係を云々言うな」という主旨もありましたの
id:kmizusawaさんのところで初めてこの言葉を見ました。遅いのかしら。 新・後藤和智事務所 〓若者報道から見た日本〓: (短期集中連載)三浦展研究。はてなキーワードもここから抜粋。ちょっと長めに引用します。 「消費フェミニズム」とは何かというと、これは米誌「ニューズウィーク」のコラムニスト、スーザン・ファルーディが使っている言葉である。ファルーディによると、平成12年の米国において、米国の女性が米国の現状をどう思うか、というインタヴューをしたところ、経済的には豊かなはずの米国において、返ってきた答えは《「怒りを感じる」「ひどすぎる」「うんざりする」》(スーザン・ファルーディ[2001]、以下、断りがないなら同様)というものである。ファルーディはこれを《新たな「性(ジェンダー)のギャップ》だと呼んでいる。 ファルーディは、米国において、《ここ数十年、「あればあるほどいい」が、商業化さ
佐々木さんも、「絶対的正義」を形成してきたのは、元々マスメディアであるという認識は持っているようである。 しかし私は今でも、マスメディアが声高に書いてきた絶対的正義の向こう側に、 しかし フラットになった言論の世界が誕生し、そこにインターネットのジャーナリズムの可能性があると信じている。なにがしかのその可能性が、単なる楽観主義でないことを、私は今ただひたすら祈っている。 「フラットになった言論の世界」とは何なのか。それは、情報発信の中心を持たない、いわば分散型の言論スフィアをイメージしているのだろうか。もしそうだとすれば、これは正しくネットでは展開されているのである。このような形で、私は誰に遠慮することもなく、「著名なジャーナリスト」を批判することができる。私の社会的立場や年収は関係がない。その気になれば、16歳の高校生にもあなたへの批判が可能である。 ネットが実現したのは決して「絶対的正
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