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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/kamimagi (9)

  • 涼宮ハルヒはセカイを作る僕ら(読み手)そのもの。 - モノーキー

    ははは、オマエがいつもオレにしてくれる『ワガママで、小生意気で、賢いのに見識の狭い世間知らず、でも憎めない女の子の話』って面白いな、で誰だよそのバカは。 ――それ、オマエのことだぞ? 「!?」(爆発) …………。 モノーキー なぜ、SFをセカイ系だのメタリアルフィクションと呼ぶようになったか コレが読みにくくまとまっていないとコメント欄でおしかりを受けたので、今流行の涼宮ハルヒに変えて説明しよう。って無謀な試み。 ●「涼宮ハルヒの憂」風にいえば作り手はキョン。読み手の人たちの集団がハルヒ。 ジャンルを産むのはソレと似たような話を欲する読み手がある程度存在するからって話。 もっと言えば読み手の集団って涼宮ハルヒじゃねえの? 思ったとおりの世界を作る(読みたい小説をジャンル化させて、市場を生む)という意味で。 さて、問題です。 セカイ(物語)を作ってるのはキョン(作り手)

  • ニュースサイトなんて善意の転載サイトのようなものだ - モノーキー

    とかふと思った。 2chのネタをコピペして張るサイトにしろ。 ハイパーリンクを羅列するニュースサイトにしろ。 みんな、善意の転載なんだろうなあとか。 面白い情報を伝えたいとか、その情報でおまけで対価を得たいとかあるにしろ。 だから、きっと、たぶん、おそらく儀礼的無関心とかが問題になるんでしょ? 既に誰かがこんな感じのネタをやってそうな気もするけれども。 ってことは、ニュースサイトとか辞めれば善意の転載されなくて済むんじゃね? まあ、オチとしては全ての転載は善意や悪意などの意図を伴うけど それがもたらす結果が問題になる閾値を越えるか越えないかってところが落としどころなんだろうけれど。 まあ、いいや。

  • はてブコメントは批評ポエム。 - モノーキー

    花魁発狂 -  はてなブックマークが面白いのは(via:はてなブックマーク) >はてなブックマーク(はてブ、って略称の方がイモっぽくて好きだけど)が面白いのは、客観ぶったバカが徹底的に主観でコメントを付けているから。 ブルジョワ日雇いどぶさらい - はてなブックマークって馬鹿の巣窟だと思うんだけど(via:はてなブックマーク ) オタク心をくすぐるんだよなあ。メタ視点から見下せるから。 ブックマークコメントにもあるけど文字制限のお陰でちょっと物知りなだけで批評家っぽくなれる気持ちよさってのは感じるなあ。 一応始まりはローカルでしたためてたURLメモ帳をwebにあげたのがはてブだったけど、皆と共有できるからか、性質が変わった気がする。 今は世間で注目されてない子が、こっそり詩を書くような気持ちではてブしてるよ。ぼく。 ほら、目立たないコとかがさこっそりしたためる詩集があるでしょ

  • 良い本を立て続け書いて、自分の能力を過信していた時の東浩紀に憧れる - モノーキー

    オタクが東浩紀へ抱く憎しみは、時代を代表する批評家か哲学家になりうるんじゃないかと言われてた頃の東浩紀への嫉妬ではないか? 言い換えると、幸せ太りする前のイケメン東浩紀へのルサンチマンともいえる。 結局みんな「動物化するポストモダン」出した直後の東浩紀の幼稚性を嫌ってるけど、あの頃の立ち位置に憧れてたりするよね。 ああいう文章はイヤだけど、ああいう仕事はしたい。ああいう立ち位置に立ちたいみたいな。 だから、みんな東浩紀の劣化みたいな文章しか垂れ流せない。俺もか。 「動物化するポストモダン」を出すまでは、確かに凄い文章を書いたって偉い人たちに持て囃されてて実際それだけの価値があったので、見誤るみたいなのはあるんだろうけれど。 ようするに、ギャルゲ論壇の人って「動物化するポストモダン」を出す前の東浩紀になりたいような気がする。 今まで自身の仕事の結果から己の実力を過信してたお陰

  • エロゲのお話って小さい頃みたモノをエロくっつけて再放送してる気がする。 - モノーキー

    ■エロゲのお話って(作り手と客が)小さい頃みたテレビやマンガやゲームとの結びつきが強い気はする(サブウェポンとしてTRPG小説文化が混じるけど) エロゲの流行が外とは周回遅れでやってくる関連で、まだまとまってない考えを垂れ流してみる。 エロゲのOPアニメーションやヒロインの声なんかをみるとアニメの匂いがするし。 ビジュアルノベル方式が出て文学性とかそっちにいくかと思ったら、メインはやっぱりギャルゲタイプだし。 たぶん、作り手の年齢が20代から30代だからなんだと思う。 30代後半から40代に入ると映画の影響が濃い人が増えそうな予感はする。 なんつーか、作り手が常にみてた娯楽についてスポットを当てていくべきなんだとおもう。手法云々よりも。 でも、エロゲの基礎は紙芝居やマンガなんだろーなあ。 エロシーンってバカにならないと書けないらしい。 だから、ナイーブな人とかエロにま

  • 作家のなりそこないと評論家が言われるのは作家性だけ自走してるから。 - モノーキー

    追記、当ブログ恒例、ここより優れたエントリ紹介。 NaokiTakahashiの日記 - 作家性よりも作品性だと思う。 [ [■ Takahashi's Web ■] ] 自分のヤツは批評家を論じるために作家性を持ち出したから、ああなったので批評そのものに於ける作品論なら作品性の方が適切かも。 批評家を説明するのに作家性を持ち出すと端的で判りやすかったので。 批評は作品性というより、作家性のカタマリなんで、そんな苦しいオレの言い訳。 http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060918/p1 [single F - 試作実験用。暫定版。-] >批評家と批評に必要なのは「批評性」。批評性だけでは売れなかったりするから「作家性」を付加したり(そも、批評っつーか評論はそれはそれで作品でもあるので、作家性や作品性を分離不能だけど)もしたりも。 あれかもしれ

  • 受ける萌え要素の共通点はユーザーが紳士な態度でヒロインと接する事が出来る設定 - モノーキー

    追記の追記の追記。 恒例、自分のエントリより優れたモノ紹介コーナー。 Enfantines Point of View - 2006-07-10(via:はてなブックマーク - MacacaFuscataのブックマーク) >オタクとはそのような「隠蔽されたもの」に欲情すると言えるだろう。制服やブルマやスクール水着といったものであれ(社会からの隠蔽)、子供であれ(当事者そして社会からの隠蔽)、めがねっ子や生徒会長であれ(女性からの隠蔽)おそらくオタクの嗜好はそこからほぼ説明できるように思う。 >だからオタクはセクシュアリティを解放している女性を嫌悪する(文でも言われているが娼婦嫌いなどは端的な例だろう)。 ・要約すると、萌えヒロインの共通点は主人公やプレイヤーにヒロインの心の中が筒抜けなのさって話。 ・で、受ける萌え要素というのはプレイヤーがヒロインに対してオトナの態度で接する

  • ひぐらしに言及したヤツは無条件で竜騎士07に謝罪した方がいいと思う。 - モノーキー

    結論からいうと竜騎士07さんの胸の中が知りたければ朝のガスパールを読むと良い。 そうやってオレは竜騎士07さんの気持ちを判ったつもりになった(誤読した)って話。 そして、パソコン通信からインターネットになっても、自分が偉くて知的だと思ってる尊大でバカな客(批評家)はいなくならないってこと。 ■この文章は朝のガスパールを読んでない人にサッパリな内容です。 読み手は全然変わってない15年前から。んで15年後も変わらないんだろうな。  ひぐらしに言及したヤツは「シモの癖がいまだに悪い三歳のバーナード犬」であることを自覚して、竜騎士07に謝罪すべき。 タイプムーン見限ってひぐらしをポストAIRにすえようとしてる方々(というかオレ) 言葉だけ立派で行動が立派じゃない言動不一致なヤツ(というかオレ) 知ったかぶりして、偉そうにする自分の無知に気がつかないバカ(というかオレ) 反知主義

  • ディスコミュニケーションを物語へと広げる「いいひと。」 - モノーキー

    ■勘違いのフラクタル 、それがいいひと。 いい作品はワンパターンでもフラクタルというかメタというか 入れ子構造で中にも同じような仕組みがあるの。 いいひと。はまさのそれ。大きな勘違いの中にたくさんの小さな勘違いがあって その勘違いがシリアスとコメディをつないでる。同じ構図で同じ物語の運びなんだけど これはなんか、もうやばい。 ということで、オタクにはサイカノで有名な高橋しんの「いいひと。」を読んでます。 つーか、これもひとつの要素だけでお話ができてる。 それが、物語の柱となり、そして主人公のいいひとっぷり、ひいては作品そのものがいいひとになるように配置されてる。 これ、作品そのものがいいひとなんだよな 勘違いによって悪意が遮断されて言葉や行為だけが残るようにできてる。 作品内で生まれた悪意は勘違いによって遮断されるので結果的に作品そのものがいいひとになる。 基的に

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