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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (19)

  • 空中キャンプ - 「タイアップの歌謡史」/速水健朗

    最近のことである。歌舞伎町で、リメイクされた映画「007 カジノロワイヤル」を見終えたわたしは、いまひとつすっきりしない気持ちで、映画館をでた。なんだろう、このもやもや感は。わたしはもやもや病にでもかかったのだろうか。歌舞伎町の雑踏。ラーメンかなにかべようかとおもったが、もやもやしていたのでやめた。 それにしても、劇中、なぜボンドはVAIOのノートパソコンをかくも優雅に使いこなしていたのだろう。彼がパソコンを使うシークエンスで、ノートパソコンのふたに書いてあるVAIOの文字がちゃんと画面にうつりこむように撮られていたのはなぜかしら。また、「俺の時計はオメガだ」という、よくわからないせりふがあったことも、あらためてかんがえれば不自然な気がしたし、そのことと、このもやもや感は、なにか関係があるのかも知れない。そして電車に乗って自宅へもどり、缶ビールを飲んでから、おにぎりをべ、その後シャワー

  • 空中キャンプ - 2006年の映画をふりかえる/結果発表

    親愛なるみなさんへ こんにちは。「空中キャンプ」を書いている者です。もうすぐ、2006年も終わりですね。この時期、ハンズとか、ロフトなんかにいくと、来年の手帳がたくさん売っていて、「お、手帳か」なんて、つい手にとって眺めたりするものです。そして、ふだん手帳なんかまったくつけない人でも、「来年からは手帳をつけてみようかしら」などと、柄にもないことをかんがえてしまう時期です。よせばいいのにね。さてここで、今年いちばんおもしろかった映画はなんだったのか、びしっと決める。決めます。そしてみなさんに発表したいです。そのために、以下の設問でもってあらかじめ集計をしました。 名前(id、もしくはテキトーな名前)/性別 2006年に劇場公開された映画でよかったものを3つ教えてください 2で選んだ映画の中で、印象に残っている場面をひとつ教えてください 今年いちばんよかったなと思う役者さんは誰ですか ひとこと

  • 空中キャンプ - 2006年の映画をふりかえる

    親愛なるみなさんへ こんにちは。「空中キャンプ」を書いている者です。なにかとあわただしいこの時期、みなさんお元気でいらっしゃいますか。近頃めっきり寒いですが、わたしはほぼ毎日、鍋をべていて、最後のうどん投入がやはりぐっときますね。鍋のエンディングにふさわしい、ボリュームのあるシークエンスという気がします。それと、わたしはつい最近知ったのですが、ブレイクダンスという言葉の語源は、ほんらい、DJが曲をかける合間(ブレイク)に踊るダンスのことを指すところから派生したのだそうですね。ご存じでしたか? そしてわたしがみなさんにお訊きしたいのは、今年おもしろかった映画はなんですかということです。 以下の集計は毎年おこなっているものです。この結果から、その年の映画でなにがよかったか、ぜんたいの流れがつかめるように、また、あまり映画に詳しくない方にとっても、年末年始のDVDレンタルの参考になる、できるか

  • http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20061121

  • 空中キャンプ - 未成年が、こっそりたばこを買う権利

    ずいぶん前になるが、「運転免許証をIDとして使用し、たばこを買う自動販売機」を試験的に導入した地域があるというニュースをきいたことがある。その自動販売機では、運転免許証を使わないと、たばこが買えないのだ。未成年の喫煙を防止するためだという。なんか、いやだなあとおもった。わたしは喫煙をしないため、基的には関係のないことなのだが、それでも、これが全国的にひろがるのはいやだとおもった。 この問題がやっかいなのは、では、この自動販売機を導入することで、なにが失われるのか、とかんがえると、それはたとえば、「未成年が、こっそりたばこを買う権利」ではないかということになりかねない点だ。そんなばかな権利はない、といわれれば、反論のしようがない。今、改札を携帯で通過できるシステムもひろがっている。駅の利用が個人認証化されているわけだが、もしわたしが、そうした流れに対して、「こうなんでも機械で管理されると、

  • 空中キャンプ - 「掟の門」

    カフカの作品に、「掟の門」という短編がある。五分もかからずに読めてしまう、とてもみじかい説話なのだが、実にふしぎな読後感がある。「いったい、あの話はなんだったのだろう」と、ついいつまでもかんがえてしまうような、謎めいたストーリーなのだ。物語をかんたんに要約する。 旅をする農夫が、とある門にさしかかる。そこには門を守る番人がいて、この門を通ってはいけない、という。農夫は、許可がでるまで待っている。しかし、門そのものは、ひらいている。番人は、「通りたければ通ってもかまわないが、その先にはべつの番人がいて、おまえはその番人から痛い目にあわされるだろう」という。農夫は待ちつづけるが、いっこうに許可はおりない。しだいに、農夫に死が近づく。農夫がたおれ、まさに死の直前、番人は農夫の耳もとでこういう。「他の誰もここを入れなかった。なぜなら、この門はおまえだけのために作られたものだったからだ。さあ私はもう

  • 2006-08-24 - 空中キャンプ

    なにが書かれてあるのか、いまひとつよくわからないを読みつづけるというのは、けっこう忍耐のいることである。むずかしいだろうとは予想していたが、「資論」はおもった以上に難解であった。読みがすすまない。わからない部分がでてくると、前のページにもどって確認したりもするので、さらに読みは遅々としてすすまない。するとしだいに、かんたんなを読みたい、すぐに理解できるを読みたい、というだらしない欲求がわいてくるが、そこをぐっとおさえて「資論」を読む。おもえばわたしは、「すぐにわかったような気にさせてくれる」ばかり選んで読んできたのだ。そして、やすっぽい受け売りで、いかにもわかったようなことを口にするのがだいすきなのだった。それはまちがいであった。ごめんなさい。わからないことに耐える。わからないことを慈しむ。それでこその「資論」通読である。 しかし、「資論」を読むことにはふしぎなよろこびもあ

  • 空中キャンプ - とつぜんレイシズム(休憩時間中に)

    ふだんの会話、日常的な雑談において、場の空気が凍りつくようなことはあまりないが、ごくたまにですけど、隣国の人たちにたいして、ものすごい差別的な内容の話をはじめる人っていますよね。そういうのって、たいてい年配の人なんだけど。あれって、どきっとするよな。ぜんぜん平気な顔で、そういうこわい話をはじめるおっさんが、たまにいますね。各種メディア上では、そうした極端な意見を目にすることもおおいが、実際に、面とむかって、ふだんの会話の中で、そのような内容の話をはじめられると、びっくりするし、いったいどうリアクションしていいのか困る。今までに何度か、そんなことがあった。そして今日である。 まあ、仕事の合間の、ごくたわいもない話題だったわけです。「小泉、靖国いったねえ」という。「どうおもう? 公約だっていっているけど」と話題をふられるが、正直、あまりよくわからない。「どうなんですかねえ。小泉は、風俗とかいく

  • 空中キャンプ-音楽があまり重要ではなくなってしまった

    三十代になっても、音楽がなによりすき、という人がうらやましくてたまらない。かっこいいなあ、とおもう。わたしは、そういうおとなを目指しながら、いつしか挫折してしまった。日常的に、音楽をあまり聴かなくなった。音楽を聴いて、ふるえるような感動をすることがなくなった。そして、生活の中で、音楽があまり重要ではなくなってしまった。こんな自分がなさけない。十四歳のわたしがそれを知ったら、さぞやがっかりするだろうなあ。いったい、いつからこうなってしまったのだろう。せっかく買ったiPodには、NHK「フランス語講座」のテキストCDしか入っていない。しかし、三十代で、あるていど音楽から遠ざかってしまっている人なら、わかってもらえるのではないか。十代、二十代の頃とおなじように音楽と接することは、もうできないという感覚が。 感受性が鈍ってきているのだという自覚がある。わたしも以前は、もっと繊細でするどい感受性があ

  • 2006-07-31 - 空中キャンプ

    歌舞伎町にて。興味ぶかく見ました。 作品において、選択されている主題は、消費文明の批判、命の価値とはなにか、というふたつだった。どちらも、テーマがおおきすぎて、かんたんには答えがでない問題である。人間の欲には限界がない。その欲は、自然や環境のバランスを崩してしまう。それはもう、じゅうぶんわかっている。しかし、暑い日にはクーラーをかけたいし、よく冷えたビールをぐっと飲みたいとねがうのが人間である。そうした生活の快適さだけを求め、後はどうでもいいや、誰が飢えても、どこかの国の人が貧困にあえいでいても、このアメニティは手放せない、というような、きわめて利己的な暮らしを、この国に住むわたしたちは営んでいる。それに対して答えをだせといわれても、もちろんだせない。この前者の主題について、映画は、無自覚であるよりは、せめて煩悶ぐらいするべきであろう、と訴えているように感じた。 後者の主題、命にはなぜ価値

  • http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060725

  • 空中キャンプ - 答えは五年後

  • 2006-07-11 - 空中キャンプ

    ゴキブリはとてもいやなものだが、わたしたちには、あらためて考えておかなければいけないことがある。彼らは、危険を察知すると、逃げる習性がある、ということについてだ。やつらは逃げる。人間をこわがっているのだ。現時点では。わたしたちは、それを当たり前だとおもっている。しかし、これが仮に、逆だったらどうか。想像するだけでおそろしいことになる。 「人間を見ると、襲いかかってくるゴキブリ」 書いただけで、戦慄が走る。たとえば、台所で見かけたゴキブリ。ものすごいスピードで、こちらに向かってくる。がさがさがさ。足にかみついてくるのだ。そんなことになったら、わたしたちは、悲鳴をあげて逃げだすしかない。完全に立場逆転である。そろそろ、ゴキブリたちも、相談をはじめているのではないか。 「ひょっとすると、人間は、俺たちにびびってるんじゃないのか」 「こっちから、襲ってみるのはどうだろう」 「意外に、効果あるかもな

  • 空中キャンプ - エロありがたいお坊さん

    人生、先のことはわからないものである。時として、ものごとは、まったく予測のつかない方向へと流れていく。もちろんわたしたちは、頭ではそれを理解しているはずなのだが、人生があまりに予想外の展開を見せるとき、ついどうしても、「わかんないもんだねえ」と、首をひねってしまうのだ。 ヨウちゃんは、ちょうど一年前、代官山のクラブで、ひとりのキュートな女の子に声をかけた。そしてそれから一年後の今、彼は、お坊さんになろうかどうか、真剣に迷っている。とんでもない展開である。一年前のヨウちゃんに教えてあげたい。来年の今ごろ、きみは、お坊さんになろうかどうか、まじめに考えているんだよと。彼はきっと、誰よりも驚くだろう。 「なんだよそれ! なんで俺、お坊さんなんだよ!」 ヨウちゃんは、わたしと同じ三十四歳で、システムエンジニア仕事をしている。独身だが、さわやかなルックスと、あかるい性格で、女の子にも人気があり、仲

  • 空中キャンプ - どうして人はあいさつをするんだろう

    わたしの会社にひとり、まったくあいさつをしない人がいる。今でこそ、わたしも慣れてしまったが、当初はやはり戸惑ったものだった。その人は、三十代前半の男性なのだが、その年齢で、とりあえずは社会にでてはたらいていて、なおかつ、ぜったいにあいさつをしないというのは、かなりパンクな選択であるとおもう。だって、ねえ。しかも彼がすごいのは、自分からあいさつをしないだけではなく、相手からあいさつをされても、決して返事をしないことである。つまり、あいさつ全般に、いっさい関わらないのだ。たとえ相手が社長であろうとも、はっきりと無視の態度を貫く。ちょっとおもしろいな、とおもった。こうなると、もはやひとつの主義主張であり、いわば非あいさつ主義とでもいうべき強固な姿勢が読み取れる。俺は、相手が誰であろうとも、平等に無視するぜ。そうしたアティテュード。 もちろん、あいさつを無視される、というのは、誰にとってもただごと

  • 空中キャンプ - 身も蓋もない

    人の音ってやつは、たいてい、身も蓋もないものである。女の子だって、わりと心にもないことをすらすらいうもので、なかなか音の部分が出てこないが、それは女性たちが、わたしの音は身も蓋もないものである、という事実を認識しているからだともいえる。やはり、「ねえ、貯金いくらあるの?」などと、ものすごい直球を投げてくる女の子はそういない。わたしだって、「きみ、何カップ?」だの、「俺の下半身でいちばんどこがすき?」だのといった質問は控えている。やはり、身も蓋もないからだ。 しかし、それにしても、三砂ちづる女史である。彼女の著書「オニババ化する女たち」(光文社新書)の、身も蓋もないことといったら、読んでいるこっちが心配になってしまうほどで、男性であるわたしは、べつにいいんだけど、女性にとっては、このはどういう受け入れられ方をするのだろうか、などと、いろいろ考えてしまった。このの主旨を要約すると、「

  • http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060608

  • 空中キャンプ - ワールドカップ開催にあたって

  • 空中キャンプ - 「イェルサレムのアイヒマン」を読む/第四回

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