Software Design
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宋文洲氏は日本のソフトウェア技術者の卑屈な「日本人特殊論」こそ日本に於けるパッケージソフトが流行らない理由と論じているが,これはミスリードも甚だしい.IBMが独禁法の排除勧告を受けてハード・ソフト分離を行って以来30年有余年の歴史を持つソフトウェア産業振興の議論を蒸し返し,ちょっとした補助金を受け取ろうという魂胆なら却って芳ばしい時代錯誤かも知れないけど. 確かにパッケージソフトウェアが入りにくいことは日本のエンタープライズ市場の際だった特徴だが,これは宋氏の論ずるパッケージソフト・ベンダの怠慢より,長らく閉鎖的だった資本市場やユーザー企業の問題である.土地や機械といった実物資産を担保にしか資金を借りられず,株式会社をつくるのに一千万円もの資本が必要だったから,多くの零細ソフトハウスがリスクを取れず人月商売に精を出した.80年代,90年代を通じて生まれたなんちゃってパッケージ業務ソフトの多
Brian Behlendorf氏。父がCobol開発者で常にコンピュータに囲まれていた。小学校のころにプログラミングの基礎を習ったが、大学では物理学を専攻。「コンピュータ科学は退屈に思えたから」。だが学生時代にインターネットを知り、この世界に入った 1995年にオープンソースのWebサーバ「Apache」の開発をまとめる非営利団体The Apache Software Foundation(ASF)を共同で立ち上げたBrian Behlendorf氏は、Apache、そしてその後に関わった複数の活動を通して、オープンソースの発展を見てきた人物だ。そのBehlendorf氏に、オープンソースのいま、同氏が創業しCTOを務めるCollabNetのこと、オープンソースがメインストリームとなった時代、開発者と企業に求められていることなどを聞いた。 --Apacheを1995年に共同で始めました。
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