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Winnyとblogに関するj708のブックマーク (6)

  • プラスチックの涙 (セックスなんてくそくらえ)

    痛みが存在しないという痛みが、僕らを苦しめている。 ブログに限ったことではなく、いわゆる大衆作品、または漫画、アニメ、ドラマ、はてなブックマークの人気エントリには、安っぽい偽物の死と悲しみに満ち溢れている。そこに描かれた事実はもはや身を切るような苦痛であることをやめた、ただの消費されるコンドームであり、百円ライターであり、fromdusktildawnであり、どこにでもあるありふれた、何度でも反復されうる、凡庸で退屈な悲しみであり、絶望であり、テープに録音された無味乾燥なオーガズムの喘ぎ声のようにもはや聞き手のペニスを条件反射的に半勃起させるだけのまがい物であり、快楽の影でしかない。 愛する者を失った痛みという、それそのものは切実であるはずの悲しみもまたパッケージ化され、商品化され、テンプレート化され、誰でもそれについて書くことができるように薄められ、毒抜きされ、気の抜けたコーラのようにぼ

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…

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  • 404 Blog Not Found:ソフトウェアをリリースする罪

    2006年12月14日02:00 カテゴリCode ソフトウェアをリリースする罪 もし以下を是とするのであれば、当然IEもFirefoxも罰せられねばならない。 日記を書くはやみずさん[・ _ゝ・] - Winny作者の金子氏有罪判決についてひとことふたこと 例えば、ナイフの例の場合。「Winnyが著作権違反を幇助しているなら、ナイフを最初に作った人は殺人を幇助している」みたいな論調だけど、ほんとにそうなのか?Winnyの状況を、より正確にたとえるなら、最初にナイフを作った人が、ナイフを大量生産して、世界中の人が手を伸ばせばナイフが手に入るように世界各国にばら撒いた、くらいが適切じゃないだろうか。なぜなら、著作権法違反のコンテンツを閲覧するのに、これほど使われたツールはなく、そして開発者たちも当然それを知っているからだ。もちろんshellも駄目、Finderも駄目である。どころかcpコマン

    404 Blog Not Found:ソフトウェアをリリースする罪
  • 切込隊長BLOG(ブログ) - なぬ。Winny金子氏が罰金刑とな

    三方一両損。いつから判事は落語をやるようになったんだ。当然、金子氏は控訴という話のようだが…。 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061213it02.htm?from=top 司法判断が出て、地裁とはいえ有罪になってしまったものは仕方がないので、それ以外の事案における犯罪行為の幇助なんかの裁判にどう影響するのか考えていかなければいかん状況になったようだ。「まあ、グレーだろ」から「違法性の認識があ」れば少なくとも罰金刑にはなりうる、という判断なのだから、仕方ない。 心情的には微妙なところだけどな、まあ現実には対処していかなければならないわけで、それはそれで考えていかないと。 Posted by 切込隊長 コメントとトラックバックの数(105) コメントする(105) <前の記事 次の記事> トップ この記事へのTrackbackURL:

  • 「法」と「制度」について 〜 YouTubeを例題として - アンカテ

    アンカテ(Uncategorizable Blog) - YouTubeと小泉郵政改革の共通点は「合意形成プロセスの再起動」の続きのメモ。 阿部謹也さんが言っていたけど、ヨーロッパでも中世のある時点まで、お話の中の登場人物には自由意思がなかった。たとえば、誰かが殺されて親族が仇討ちする時、共同体の意思(ルール、しきたり)がそのまま個人の意思であって、それは、共同体の意思と個人の意思が一致しているというより、個人の意思が存在してなくて、個人は共同体の細胞みたいなものであったと。 その状態では、個人=市民は存在してなくて、個人=市民と社会=共同体の葛藤も存在してなくて、両者を隔てる壁もなければ、両者を調停する法律も不要である。だから、国家というのは、その時には存在していない。 個人=市民という意識が発生してはじめて、個人=市民 VS 社会=共同体の葛藤が発生して、それを調停する機関として国家が

    「法」と「制度」について 〜 YouTubeを例題として - アンカテ
  • キャズムを超えろ! - TV番組の著作権問題がネットユーザから軽視されているのは地方で『ハルヒ』が見れなかった反動か!?

    休日はかる〜いネタをひとつ。 「WinnyはだめでYouTubeは何でOKなの?」という話を見掛けた。結論から言うと「音楽ファイル共有はだめっしょ」「あ、映画もだめね」「PCアプリの共有なんてもってのほか」「個人情報漏れとかマズー」なんだけれど、「え?TV番組?それは便利に共有できる仕組みがあってしかるべきだねぇ」って思ってるからじゃなかろうか。 まぁ推測の域を出ないが、どうもそういう匂いがする。 商業的な権利なんてものは、社会全体の利益に反しない程度に守られればいいものである。 http://kazuho.exblog.jp/tb/5260622 こんな意見もあるようだが、当然のことだが音楽映画PCアプリをWinnyで交換されてしまうと著しく権利が損なわれ、メーカーの存続が危ぶまれる事は必至だ。しかしながら、TV番組がYouTubeでシェアされたところで、彼らのビジネスモデルは大きく

    キャズムを超えろ! - TV番組の著作権問題がネットユーザから軽視されているのは地方で『ハルヒ』が見れなかった反動か!?
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