モーショントレースがんばってみたけどさっぱりうまくいかないお。今年のけじめにうp
まとめ 批評家と他者の作品 他者の作品に対する批評家としての佐々木敦は何をするのか。 生徒に対する先生としての佐々木敦は何をするのか。 面白い話と思ったので、まとめさせていただいた。 3730 pv 25 5 users 2 Taxxaka @Taxxaka まあでも「批評とはこうである」という話はどの批評家も同様に客観視と他者性を口にするのだが、問題はそれでも作家、批評家の関係がズブズブに見えることが少なくないこと、また恐らくそれにも理由はある事を指摘しないことではないか。超越的な視点を批評が持てる筈もないしその必要もない。 Taxxaka @Taxxaka いや違うかもしれない。批評家も自らの基準を知らないか知り得ない、あるいはあえて知ろうとしてはいけないのかもしれない…。いずれにしろ、批評はより孤高に屹立して、自らを晒してくれればそれでいいと思う。作品の孤独とも違う形で…
梅棹忠夫氏(1920−2010)は、一九六〇年代半ばに京大人文研の助教授となり、「ヨーロッパ探検」を計画したところ、当時の文部省の人が目をむいたという。「ヨーロッパは勉強に行くところで、探検に行く場所ではない」と。しかし、「都市部はともかく、農村ではどんな衣服を着て、どんなものを食べ、どんな家に住んでいるのか、人々の暮らしぶりは知られていない」ので、それを調査することを「探検」と呼んで然るべきではないか、というようなことを梅棹氏は主張したらしい。 きだみのる氏(本名・山田吉彦、1894−1975)は、一九三四年に渡仏し、三九年までの四年間、高等研究実習院でマルセル・モースの講じる宗教社会学を学んだ。*1 『贈与論』の最初の訳者(『太平洋民族の原始経済』)でもあるという。*2 帰国後は戦中戦後の長期にわたり、東京の山村の部落に暮らし、そこでの見聞や体験をもとに、いわば「参与観察」の記録として
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く