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●昨日テレビで『境界線上のホライゾン』の第二シーズンの一回目をやっているのにたまたま出くわして、少し観ていたのだが、それでふと、本多正純というキャラの声としゃべり方にどこか聞き覚えがある気がして、画面から少し気を外して脳内検索をはじめ、しばらくしてそれが『化物語』の神原駿河に行き着いた時の、意外な、別のパースペクティブが開けたような驚き。 ●アニメのキャラがキャラとして成立するのに、ビジュアルと声(しゃべり)との結びつきは不可欠だろう。キャラはビジュアルだけでは十全にはキャラ足り得ず、声(しゃべり)によって息を吹き込まれる。しかし、本多正純と神原駿河という、作品(地)としても作品内の役割(図)としても大きく異なる(形象として大きく異なる)キャラ同士が、声としゃべりという次元では通底していることで、何というか、世界の潜在的な別の層を垣間見たような感じ。意味という次元ではまったく関係のない二つ
ダウンロード違法化などの問題で音楽産業・音楽業界のあり方が逆に問われる状況になっているが、今回は個人的に「こういう売り方はやめてほしい」と常々思っていることをいくつか挙げてみたい。これは、周辺的にではあるがアーティストの公式ファンクラブに関わった経験とそのとき観察したことに基づいての思いである。特にここ10年足らずの「CDが売れなくなってきた」時代においてレコード会社としてはやむなく選んだ戦略について、それがまたファンを離れさせる原因にもなっていると感じている。 以下、特に大手レコード会社の方向性としてよく見られるものである。もちろん、「いい音楽をリスナーに届けたい」という思いはすべての業界人に共通しているだろう。ただ、マネタイズの方法に難があるということは伝えたい。 ベスト盤を頻発しすぎ シングル盤とLPアルバムが完全に別のものだったアナログレコードの時代には、アルバムはコンセプトを持っ
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