モリサワを代表する明朝体、リュウミンの開発が始まったのは、1960年代のこと。これには、当時の写真植字をめぐる状況が関わっている。 日本の印刷文字は、戦前から戦後にかけて活字が主体だったが、オフセット印刷の浸透とともに写植の普及が進んでいった。しかし、書籍などの本文組みの分野では長く活字の時代が続いており、モリサワは依頼を受けて活字メーカーの明朝体の写植機文字盤も製造していた。 当時の写植の明朝体に対して、出版社からは「活字に比べて力強さに欠ける」という評があったという。 独自の本文用明朝体を望む声は社内外ともに大きく、モリサワは新しい明朝体の開発に着手した。この明朝体の原型になったのが、活字メーカーの森川龍文堂(もりかわりょうぶんどう)から譲り受けていた書体、新体(體)明朝である。 森川龍文堂は1902年(明治35年)に大阪で創業された会社で、金属活字鋳造と印刷機器販売を営んでいた。 当
![第三回 リュウミン | 書体見聞 | 文字の手帖](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a60f34e22ca10eac1bae42b0e93ca96fb365b087/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fresources.morisawa.co.jp%2Fuploads%2Ftmg_block_page%2Fcover_image%2F1998%2F3.png)