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2021年2月11日のブックマーク (2件)

  • 第三回 リュウミン | 書体見聞 | 文字の手帖

    モリサワを代表する明朝体、リュウミンの開発が始まったのは、1960年代のこと。これには、当時の写真植字をめぐる状況が関わっている。 日の印刷文字は、戦前から戦後にかけて活字が主体だったが、オフセット印刷の浸透とともに写植の普及が進んでいった。しかし、書籍などの文組みの分野では長く活字の時代が続いており、モリサワは依頼を受けて活字メーカーの明朝体の写植機文字盤も製造していた。 当時の写植の明朝体に対して、出版社からは「活字に比べて力強さに欠ける」という評があったという。 独自の文用明朝体を望む声は社内外ともに大きく、モリサワは新しい明朝体の開発に着手した。この明朝体の原型になったのが、活字メーカーの森川龍文堂(もりかわりょうぶんどう)から譲り受けていた書体、新体(體)明朝である。 森川龍文堂は1902年(明治35年)に大阪で創業された会社で、金属活字鋳造と印刷機器販売を営んでいた。 当

    第三回 リュウミン | 書体見聞 | 文字の手帖
  • 活字・写植・フォントのデザインの歴史 - 書体設計士・橋本和夫に聞く(47) イワタ明朝体オールド--金属活字時代の看板書体

    なくてはならない書体 1998年(平成10)9月にイワタ新ゴシック体制作の監修を始めてまもなくのこと。橋和夫さんは、同社の水野弘一郎社長(当時)に、顧問になってほしいと頼まれ、承諾した。1999年3月のことだ。 「顧問に就任して、あらためてイワタの書体見帳を見て思ったことがふたつありました。一つは、見帳に掲載する書体を豊富にしたいということです」 当時のイワタの書体ラインナップは、金属活字の原字をトレースしてつくった明朝体、ゴシック体、丸ゴシック体の各ウエイト、教科書体、楷書体、行書体、隷書体、新聞明朝体、新聞ゴシック体といった基的な書体だけだった。写研で多書体化を手がけた経験のある橋さんは、このカタログに掲載される書体をバラエティ豊かに、にぎやかにしたいと考えたのだ。 そのためには新書体を制作していかなくてはならない。 しかしその前にまず着手すべき書体がある。それが、橋さんが

    活字・写植・フォントのデザインの歴史 - 書体設計士・橋本和夫に聞く(47) イワタ明朝体オールド--金属活字時代の看板書体