高3の冬に祖父が死んだ。 クリスマスの朝、起きたら母からLINEが入っていた。 祖父は典型的な亭主関白だった。生まれは満州だったが3歳頃にこちらに引き揚げてきたためか、私は祖父の実家を知らない。親戚も数えるほどしか知らない。 山奥の農家に生まれた祖母と、満州でそれなりの家(祖父曰く曽祖父が閣下と呼ばれていた)に生まれた祖父が、なぜ結ばれたのかは未だにわからない。 唯一、 「わたしは断れなかったのよ、あの時から逃げられなかった」 と祖母が言っていたことだけは覚えている。 不摂生を祖母が咎めても怒鳴り返し、祖母がいうことは一つも聞かなかった祖父だったが、孫には優しかった。冗談好きで、会いに行くと必ず「おう、〇〇(母の名前)じゃねえか」「おじいちゃん」「おう、すまんな、ボケちまったらしい」とか、そういう冗談が常だった。 博識で、私の知りたいことはなんでも知っていた。ローマの歴史、新聞のつくり方、