京都市左京区の京都大吉田南キャンパスで10月下旬、反戦や大学への不満を訴える20~30人の学生らが、吉田南1号館を一時、バリケード封鎖し、教職員や学生らが建物内に入れなくなる騒ぎがあった。学生運動によるバリケード封鎖といえば、昭和44年1月の東大紛争が有名だ。このときは、東大・安田講堂に警視庁機動隊が突入して封鎖が解除されたが、今回の京大バリケードは、周囲にいた一般学生たちが「他人に迷惑をかける」とバリケードを解いた点が興味深い。安保関連法案をめぐり、学生団体「SEALDs(シールズ)」が注目を集めるなど、従来と異なる潮流がみられる中、バリケード封鎖という反対運動の手法の歴史をひもとくと、40年以上にわたり伝統的な手法を守り続ける新左翼運動の〝保守化〟も垣間見える。 学生の意思示すため… 京大でバリケードをつくったのは、中核派系全学連のメンバーだ。マイクで主張をアピールしていた学生たちによ