[2011年07月20日(水)] 【コパ・アメリカ】ブラジルまでもが敗退。波乱の大会に思う“日本代表が出ていれば……” 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki 三村高之●撮影 photo by Mimura Takayuki 7月17日(現地時間)に行われたコパ・アメリカ準々決勝で、ブラジルがパラグアイに0対0からのPK戦の末に敗れた。これで前日のアルゼンチンと合わせ、早くも2強が揃って姿を消したことになる。 この日のブラジルに関して言えば、出来は決して悪くなかった。不振が続いた今大会のなかでは、間違いなく一番の出来だっただろう。 エクアドル戦では前線の4人(パト、ロビーニョ、ネイマール、ガンソ)に頼りがちだった攻撃に、ラミレス、ルーカスの両ボランチ、マイコン、アンドレ・サントスの両サイドバックが絡むことで、厚みが生まれたうえに、スピードもアップ。テンポのいい攻撃で
[2011年06月04日(土)] 【イタリア】スナイデルは長友を思い切り突き飛ばして祝福した ロベルト・スカルピーニ●文 text by Roberto Scarpini 内海浩子●翻訳 translation by Uchiumi Hiroko photo by SINO/FOOTBALL PRESS インテルチャンネル名物パーソナリティーのナガトモ日記(最終回) セリエAは終わっても、長友にとってイタリアでの最初のトロフィーを獲得するチャンスがまだ残されていた。5月29日のコッパ・イタリア決勝だ。 ファイナルまでの7日間を彼はサッカーから一歩離れてスタートした。チャリティーに参加するためミラノの町を出たのである。チームメートのマルコ・マテラッツィと共に向かった先はペルージャ。震災で大きな被害を被った仙台をサポートするためのイベントが彼らを待っていた。仙台にカーザ・ペルージャという
[2011年05月24日(火)] 【ドイツ】内田篤人を直撃!「じゃあ、シーズンの振り返りでもしますか?」 了戒美子●文 text by Ryokai Yoshiko 木場健蔵●写真 photo by Koba Kenzo 長かった内田篤人の1シーズンが終わった。 最終戦となったのは、ドイツカップ決勝デュイスブルグ戦。だがそのスターティングメンバーに彼の名はなかった。後半36分に交代で出場。今季初タイトルのピッチに一応は立ち、歓喜の瞬間をメンバーと共に味わった。 「有終の美とか、終わりよければすべてよしとか、そういう言葉がオレはキライ。そこまでの過程が悪かったことへの言い訳をしているみたいに聞こえるでしょ。オレは全部勝ちたいし、全部優勝したい」 試合後にそう話す内田は、シーズンを終えたことへの安堵感を交えた穏やかな表情を見せてはいるが、悔しさをすべては隠しきれない、そんな風に見えた。
[2011年04月18日(月)] 【オランダ】宮市亮、覚悟の2ゴール2アシスト。「チームの絶対的な存在になりたい」 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki photo by PICS UNITED/AFLO これほどの活躍をした試合の後くらい、大目に見てやろう――。 フェイエノールトの広報担当者がそんなふうに考えたのだとしたら、我々は宮市亮の活躍に感謝しなければならない。 4月17日、エールディビジ第31節。フェイエノールトがウィレムUを相手に6対1の大勝を収めた試合後、宮市はうれしそうにシャンパンのボトルを抱え、取材エリアに姿を現わした。 出場2戦目にして初ゴール。以来、宮市への加熱報道を予防すべく、フェイエノールトは彼への取材のすべてをシャットアウトしてきた。個別のインタビューはおろか、試合後の取材さえも。 だが、この日の宮市はフェイエノールト加入後、初と
[2011年02月21日(月)] 【オランダ】スターシステムを嫌うメディアが宮市亮にゾッコンだ 中田 徹●文 text by Nakada Toru photo by AFLO デビュー戦のフィテッセ戦では、ゴールに直結するプレイこそなかったものの、60メートルものロングドリブルで左サイドをぶち抜き続け、ファンを魅了した。ホーム初お披露目となった翌週のヘラクレス戦は、チケットの売り上げを急激に伸ばし、4万7000人ものファンを集めた(今季の平均は約4万1000人)。そしてこの試合で鮮やかな左足シュートを決め、マン・オブ・ザ・マッチにも選ばれ、『リオジーニョ』なるニックネームは、あっという間に全国区となった。 宮市亮は今、オランダでセンセーションを起こし続けている。 オランダのメディアは完全に、宮市に魅了された。全国紙『アルヘメーン・ダッハブラット』紙は、ヘラクレス戦後の1週間で3回も宮
[2011年02月25日(金)] 【イタリア】今日も練習場ではマテラッツィが長友につきまとう ロベルト・スカルピーニ●文 text by Roberto Scarpini 内海浩子●翻訳 translation by Uchiumi Hiroko photo by Paolo Nucci インテルチャンネル名物パーソナリティーのナガトモ日記(3) インテルにやってきた長友の日々を綴る時、単にサッカー選手として語るわけにはいかない。彼の太陽のような明るい性格は、2つの全く異なる文化を融合させるだけでなく互いに補い合えることを示すシンボルになっている。 長友に対する目は、当初は好奇心によるものが強かった。しかし時間が経過するとともに新たな彼の一面を発見したいという気持ちが好奇心をしのいでいった。それはマイコンが彼のアイドルだったことを知るに始まり、主将サネッティとおしゃべりをするのが日課と
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[2011年02月18日(金)] 【イタリア】長友が現地記者に「くたばっちまえ!」と答えていた ロベルト・スカルピーニ●文 text by Roberto Scarpini 内海浩子●翻訳 translation by Uchiumi Hiroko インテルチャンネル名物パーソナリティーのナガトモ日記(2) 長友にとってのデビュー戦となったホーム、サンシーロでのインテル対ローマ戦を終え、イタリアダービーと呼ばれるビッグマッチ、ユベントス対インテルを前にしたユウトの1週間は、月曜日と火曜日の2日間にわたる休息日から始まった。多くの選手が代表の国際マッチに召集される中で、久々に一息つけたわけである。 水曜日、再開された練習ではその効果もあってかいつも以上に元気いっぱいのところを見せた。その翌日の木曜日は、戻ってきた11人の代表組も合流して行なわれたミニゲームで、今までの中で最もスピードが
[2011年02月04日(金)] 【イタリア】長友佑都がビッグクラブからひっぱりだこだった理由 内海浩子●文 text by Uchiumi Hiroko photo by Paolo Nucci 「日本人選手獲得=主眼はビジネス」と言われた時代はすでに過去になったと実感する。 もちろんスポンサーやマーケティングの話はついてくる。だが長友のインテル移籍は間違いなくそれが主眼ではなかった。それは周囲の反応を見るとよくわかる。 長友のことはインテルだけでなくミランも本気で狙っていた。アジアカップ優勝翌日、ザッケローニはイタリアのテレビ局SKY SPORTの電話インタビューで「先週、ミランの役員から電話で長友のことを聞かれた」と裏話を明かしている。 経営陣の交代を目前に1月の移籍市場で身動きが取れないことを理解していたローマのプラデ(スポーツ・ディレクター)は、「唯一の後悔は長友だ。もし
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