10月1日、日本マクドナルドに1人の女性役員が誕生した。チーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)で上席執行役員のズナイデン房子氏(54)だ。辣腕マーケッターとしてV字回復を支え…続き 「夜マック」 誰も信じなかったマクドナルドの盲点 [有料会員限定] マクドナルド復活 カサノバ氏と2人の異端児 [有料会員限定]
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昨日は久しぶりに 少しだけたっぷり眠った。 疲労がたまっていたらしい。 そういえば、最近夢を見ていなかったなあ。 以前朝日カルチャーセンターで やった南直哉さんとの 対談を火曜日に聖心女子大学の 授業に行く時に聞き直していた。 六本木駅で乗り換える頃、 「縁起」に関する対話に さしかかっていて、 それを聞いていてふと 悟ったことがあった。 以前から時々考えて いる問題がある。 誰にでも、自分にとって大切な 問題、テーマがいくつか ある。しかし、人生でそれが できるとは必ずしも限らない。 子どもの頃蝶を追いかけて 野山をかけ回っていた私にとって、 熱帯雨林の中に一年くらい くらしてじっくりと生態系を 観察するということはひとつの 夢であったが、 今のところ実現する気配はない。 ジョン・レノンの 『ビューティフル・ボーイ』 の中に、 Life is what happens to you wh
木曜日のプロフェッショナル の収録は、「アイガモ農法」 を実践されている 古野隆男さんだった。 アイガモたちは 水田に放たれるとずっと動き回って、 仕事をしている。 その様子を見ていて、 人間もそうでいいんだと思った。 朝からクワックワッと 動き回る。 待ったなしの急ぎの仕事 (と言っても、複数あるのだけれども) も終わらせ、研究所へ。 ゼミ。 田谷文彦クンが、実に 面白い記憶に関する論文を 紹介してくれた。 電通の佐々木厚さんの紹介の仕事で、 高崎へ。 「脳とブランド」について 熱弁。 ボクは思った。 こうやって忙しく動き回っている けれども、「私」はいつも 「今、ここ」にいるだけじゃ ないか。 コペルニクス的転換で 地球の方が動いていることに なったが、 現象学的還元の下では、 「私」ではなく、 やはり地球の方が動いている。 「私」の自我は、常に 「今、ここ」にどっしりと 腰を据えてい
最近インターネットに関する 感覚が変わってきた。 確かに大きな進歩だが、 似たようなネットワークは、 この物理的空間の中で、ずっと 以前から存在しているように 思う。 ネット上のシンボリックな情報の 凝縮に相当するような 関数は確かにない。 しかし、よりゆったりと、しかし 深く広く浸透する関係性は、 物理空間の中にもともとあるの であって、 それは身の回りの本や、紙や、 生きものたちの間に 明らかである。 関係性に対するアウェアネスを ネットに「丸投げ」してしまっては ならぬ。 「ネット・アスリート」として凝縮 された情報空間を疾走するのは 現代人の「必修種目」であるが、 ネットに想像力を奪われてはならない。 「科学大好き土よう塾」の収録。 マジックのナポレオンズの二人が ゲスト。 例の頭にボックスをかぶせて ぐるぐる回るマジックを生で 初めて見た。 スペシャルということで、クイズ 形式。
私たちが、曲がりなりにも、 民間企業として、あるいは社会的存在として、 20余年生かされているのは、 私たちを信頼して、 仕事を任せてくださる お客様がいらっしゃるからである。 僕はもうお客様にお会いしないようになって、 数年経つけれど、何時も何時も、考えている。 「私たちは、本当にお客様の望むサービスを 提供できているのだろうか?」 「私たちは、声なきお客様の心の中に、 満足という火を灯せているのか?」 これは、経営の基本であり、また、 永遠のテーマかもしれない。 この不安と葛藤が最低限の仕事でもあろう。 またこの10年は、 少なくない外部パートナーが、 私たちのビジネスを高い品質で サポートしていただけるようになった。 ありがたいことだ。 個人事業の方が多いだろうけど、 永く付き合えるようないいなあと思う。 これは、創業者のエゴかもしれないけど、 できれば、自分が創ったこの会社が、 永
2007年07月14日23:00 カテゴリValue 2.0 弱者不安社会の傾向と対策 「弱者不安社会」という言い方は、「犯罪不安社会」からお借りした。「弱者不安社会」とは、「弱者はますます不安になる社会」ではない。「弱者となる確率が下がっているにも関わらず、弱者となる不安が拡大した社会」のことである。 本題に移る前に、まず私なりの「弱者」の定義を披露しておこう。私にとって、弱者というのは「状態」ではあっても「属性」ではない。人は生まれたは、親の庇護なしにはすぐに死んでしまう「弱者」である。それどころか、今や親ですら病院や保険といった社会機構がなければ子供も産めない「弱者」かもしれない。それが、さまざまな経験を積むことで「強く」なっていく。 弱者とはまた、相対的な概念でもある。たとえば財力がものをいう場合においては、私は読者のみなさんの大多数よりも「強者」でありうるけれども、それが体力だっ
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