私が芥川の「地獄変」を読んだのはわりあい年齢を重ねた頃で、大学を出るか出ないかの頃だった。 ここに出てくる堀川の大殿とは、藤原兼通のことを言うともいい、道長をモデルにしているとも言う。 大殿の栄華の描写、その評価が大鏡に出てくる道長に近似していることから、私は道長を当てはめている。 青年の頃の私が衝撃を受けたのは、作品そのものにというよりも、おのれが迂闊さに対してであった。 と言うのは、この作品に出てくる大殿はさしたる罪過もない女房を焼き殺すという非道をなすからであり、それによって私は改めて平安時代における警察機構、裁判機構の不在に思い至ったのだった。 無論、検非違使なり、蔵人頭などはいたにせよ、それは権力者が統治するための手段であって権力者をも拘束するものではない。 そのような世界で数々の傍若無人な振る舞いが権力者やその一族によってなされたであろうことは想像に難くない。 私は既に源氏物語